「ジャーナリズム経験なし」Diggに見る編集者のモデル
Diggの編集部の話が色々と興味深い
withnewsで記事が上がっていた。
スマニュー、グノシーは世界で勝てるか 米大手ディグCEOに聞く - withnews
――編集者は何人いるんですか。
「編集チームは6人です。チーフはしばらくハフィントンポストに所属したことがありますが、全員、ジャーナリストとしての訓練を受けたことはありません。第一段落はこう書くとか、文法がどうとか、そういうことに優れているわけではありません。我々は、何が面白いのかということを判断できるセンスを持つ人間を雇っているんです。おそらく、エディター(編集者)よりは、キュレーターという言葉を使った方が良いでしょう。キュレーターの仕事は面白い記事を選ぶことです。800万人のユーザーに、話しかけるようなものです。ガジェット好きでニュースを良く読む知的層。そういった人たちにアピールする記事を取り上げるようにしています」
「全員、ジャーナリストとしての訓練を受けたことはありません」「私たちは中立であろうとしていません」「私たちは、世界でいま何が起こっているのかを示そうとしていません」色々と面白い。 / “スマニュー、グノシーは世界で勝…” http://t.co/C4YWngbSOp #media
— やまぐち りょう (@d_tettu) 2014, 9月 17
僕も特別な訓練受けてるわけじゃないしなあ。
— やまぐち りょう (@d_tettu) 2014, 9月 17
日本でも大手紙以外でメディア経験を積んで、そこからネットメディアで華々しく羽ばたく、みたいなストーリーがあっていいと思うのだけど、モデルはあんまないよなあ。
— やまぐち りょう (@d_tettu) 2014, 9月 17
僕も、ジャーナリストとしてのいわゆる伝統的な訓練は受けていない。ジャーナリストとしての求められる能力であるとかマインドであるとか、肉体化できないものは確かにあると思う。
そんなわけで、ネットメディア時代の編集者モデルがどのようなものであるのか、どのようなスキルセットが必要なのかといった興味は尽きない。上述のキュレーターという役割ではなく、編集者(エディター)ってデジタルの世界でどんな役割を果たし、どんなスキルを持つべきなんだろう、とか。
キュレーターが1)記事を選ぶ、2)情報を編んでコンテンツを作る、と役割を有するのなら、編集者はそれに加えて「『場』を作る」といった役割もあるのかもしれない。
朝日の古田さんが言ってた
1)ディグCEOインタビュー。アルゴリズム+人間はハフポもバズフィードもそうだし珍しくない。一番驚いたのは、ディグの編集者6人全員ジャーナリズム未経験だということ。これは日本のヤフーニュースなどと異なる http://t.co/3wNpLm0WRu
— 古田 大輔 (@masurakusuo) 2014, 9月 17
2)ジャーナリズム経験なしで記事が選べるのかという質問への答えは「エディターとキュレーターは違う。キュレーターに必要なのはインタレスティングな記事を選ぶセンスで、それとエディターの能力は異なる」
— 古田 大輔 (@masurakusuo) 2014, 9月 17
3)それで複雑な政治経済などのニュースを中立公平に選べるのか。重要な記事を見分けられるのかという問いには「それは報道機関の役割。diggは何が重要かではなく、何がインタレスティングかに注目している」。重要なニュースを選ぶという伝統的エディター目線がそもそもない。
— 古田 大輔 (@masurakusuo) 2014, 9月 17
4)だけどやっぱり重要な政治ニュースも広く読んでもらいたい。例えそれがとっつきにくかろうと。キュレーションでそれが可能かと聞いた。「政治的な関心の高低はサイクルで、関心が高ければ政治ニュースも読まれる。政治への関心を高めるのは、政治家の仕事だ」
— 古田 大輔 (@masurakusuo) 2014, 9月 17
5)コメント機能のことも聞いた。ニュースを読むのはソーシャルな行為だがdiggに独自のコメント機能はない。「コメント欄がネガティブになることを防ぐ。これは難問だ」と認めつつ、slashdotなどの成功事例を挙げカギはデザインとアーリーアダプターがつくるカルチャーだと
— 古田 大輔 (@masurakusuo) 2014, 9月 17
6)個人的にはアルゴリズムによるキュレーションでできることは、たくさんあると思います。デジタル・ジャーナリズム時代のぼくの問題関心の中心は、政治的極性化なんですが、これもアルゴリズムとデザインである程度なんとかできるのでは、という気がします。アイデアだけですが
— 古田 大輔 (@masurakusuo) 2014, 9月 17
先に述べた「『場』を作る」に関連する話が古田さんの中でも出てくる。slashdotのカルチャーや、政治的極性化を防ぐアルゴリズムをどう生み出し、運用していくか、といった部分。
コンテンツをどう作ってどれを選ぶかという目線だけではない領域だ。
「アルゴリズムをいじる編集者」というモデルを考える
「アルゴリズムこそ、新たな編集者だ」検索業務であれこれやってた時に、これは確かに感じた。いわゆる編集とは異なる編集者像。 / “ニュース編集者とはだれか/ポスト“フィルターバブル”議論を読む | 藤村…” http://t.co/wFCuwnhDRm #media #editor
— やまぐち りょう (@d_tettu) 2014, 9月 16
いわゆる編集者以外の編集者的な仕事ってモデルがないから考えづらいのだけど、アルゴやルールを作るっていう在り方は全然あり得る。
— やまぐち りょう (@d_tettu) 2014, 9月 16
ただ、そういった編集者に必要とされるスキルが既存の編集者と乖離しすぎている。ここらへんあとでまとめよう。
— やまぐち りょう (@d_tettu) 2014, 9月 16
いわゆるコンテンツそのものをいじるのではなく、ユーザーが情報そのものに触れ合う「場」自体を調整するという役割は存在する。
それはスパム対策なのかもしれないし、「良いタイムラインとは」といった、形而上の問いについて答えを出すフレームワークを作ることなのかもしれないし、単にランキングのアルゴリズムを調整することなのかもしれない。
多岐にわたる調査内容をここに引き写すことは避けますが、ヒアリングから得られたコメントからは、それぞれのサービスを支える思想が、アプリやサービスの機能や特徴を強く規定するものであると感じさせるものがあります。
いいかえれば、アルゴリズムの設計者らの思想は、そのままニュース編成(取捨選択)上の強意点となっていると受け止めることができます。それはまさに“新たな編集者”の誕生を思わせる光景です。
また、ジャーナリズムに蓄積されてきた情報の取捨選択に関するプロセスの明瞭化、そして倫理観と専門職能がどう変化していくのかという問いを、両氏は執拗に繰り返しています。
ニュース編集者とはだれか/ポスト“フィルターバブル”議論を読む | 藤村厚夫 Media Disruption
そういった仕事で必要とされるスキルは、これまでの編集者が持つそれとはかなりの乖離がある。考え方も相当の違いがある。データを読み解く能力や技術的な知識も必要であれば、そもそもプロダクトアウトのような考え方を修正する必要もあるだろう。
ただ、経験上そういった領域での編集者の仕事というものは、品質管理や保守・運用といった業務に終始することが多いように思える(その良し悪しは別として)。エンジニアが作ったアルゴリズムで出てきた情報を、データと特定のフレームワークで評価し、その「穴」を調べてフィードバックする。ユーザーの不快感を与えかねない情報や、スパムによって操作的に出てきた情報をどうやってアルゴリズムに反映させるか、その場で消して良いものかどうなのか判断する。
例えばはてなで言うと、はてブトップに出てくるコンテンツを抽出するルールを決めて、それをテストしてみてデータで評価したり、スパム判定のルールを作って評価したりといったものだ。実際に何をやっているかは知らんが。
それが編集者か、というとなかなか微妙な気もする。
そういったある種の「下請け」になるとダメで、上流工程で動いてこその編集者なんだろう。
はてブトップに出ているのはどういったものであるべきなのか、そこで得られるユーザー体験はどのようなもので、その価値はどのように表現されるべきなのか。そんなコンセプトワークのような領域で役割を果たすこと。
そんなことを考えていると、やっぱりマーケッターみたいな役割軸は持っておかないとアカンかもなあ...と思いつつここで筆を置く。あー暫く休みたい。