@d_tettu blog

メディアとかウェブとかネコとかそこらへん。たまに日記。

#母に感謝したくなるコピー を写真に貼り付けたら広告みたいになった

Photoshopでいじってみた

今日も帰宅して寝られない。布団に潜り込んで3時間、時計の短針がその頂点を示す頃にむくりと体を起こす。

寝られない。

暇を持て余すのももったいないなあと、Photoshopを起動してみて、さて何をやろうかと。そうだ、母の日になんかコピーが話題になっていたな…と広告風の画像を作ってみることにした。思ったよりそれらしくなるのね。
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Photo by Bruce Caron

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Photo by Chongnuo Ji

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Photo by Hostalets Cultura

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Photo by snaccm


ちなみに、これらの画像は全てflickrで「DSC00001」と検索したものだ。そう、SDカードの一番目に記録された画像の文字列(Licenseには気をつけよう)。

初めてファインダーを覗いて、そこに見えた景色。

そう聞くとまた違った風に見えてくる。誰も気にしないだろうけど、それはどこか無垢さを漂わせているような気がする。このハッシュタグと相性が良いように思えた。

今はもう残されていないけれども、僕にとっての「DSC00001」はなんだったろうか。

知らない誰かの「00001」

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Photo by Jimmy Thomas
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Photo by revjdevans
他にもなんかおかしい写真を見つけたので、それらしい言葉を貼り付けてみた。そうか、みんな1枚目にこういうのを撮っているのか。

フォントや言葉のバランス、写真をどう加工するかなどとても難しかったけれども、こんな風に色々といじってみるのはとても面白かった。しかし思った以上に難しいと感じたのがフォントの選び方。「メイリオがモダンでいいんでしょ?」とか思っていたらこれが合わない合わない。

紙媒体で働いたことがないのでよくわからないのだけど、雑誌を作る際に、どのフォントでどこに配置するのかなど、目に見えない苦労があるのだろうなあとぼんやりと感じた。実感しづらいだけに。


そういえば母の日に何もしてなかったので今から全力で何かする。

ブルーボトルコーヒーは今でもやっぱり混んでた

2ちゃんでちらっと「今なら空いてるぞ!」と盛り上がっていたので、ふらっと清澄白河の店舗に寄ってみた。
 
話題となっていたのは青山店のようだが、そこまで「ぶふぉwww サードウェーブww もう波は去ったwwww」みたいな雰囲気なら、まあこっちも空いてるだろうと。
 
甘かった。開店時間の8時ジャストに着いたが普通に並んでた。声を大にしてふざけるなと言いたい。インターネット許すまじ。
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なんだよそれやっぱり2ちゃんは2ちゃんなのかーと思いつつ、20分ほど並んで入店。

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ラテを頼んでみた。目の前ではそれとは別にアメリカンなんかが淹れられていたので、真似してみようと覗き込んだり。
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ラテはちょっとした苦味もあって普通に美味かった。味からはサードウェーブ感はさほど感じなかったが、まあそんなもんだろう。せっかくだしと豆も購入。200gで1500円って高くね?
 
青山店の方がどうなんだろうね。本当にガラガラなのか?まあ真に受けるもんじゃないよね。そういう風にまとめて盛り上がってるだけだし。

合わせて読みたい

HuffingtonPostが新しいアプリ「Huffpost Realtime」を公開してた

寝て起きたらApple Storeのおすすめに掲載されていた「Huffpost Realtime」。最新ニュースをタイムライン形式で提供することに特化したアプリのようで。
 
 
まだVer1.0なのでこれから機能追加などするのかもしれないが、超シンプル。既存のアプリと食い合わないのかなあ。

ファーストビューにどどーん

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スワイプ無しで表示されるコンテンツが1.5程度とかなり一覧性には欠ける仕様。スライドして見ていってね的な?
 

右にスワイプでブクマ

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スワイプさせてブクマしたコンテンツは、右上のしおりマークをタップするとブクマページに遷移。
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これまでブクマしたコンテンツがズラー。表示はほぼ同じ。
 

写真のスライドショーはFacebook風

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ブラウザ版では縦にスライドさせる形式だったものが、ここではFacebookのアルバム風に表示されるように。1ページごとにディスクリプションも。
 

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なお、コンテンツ右上の三点リーダーみたいなのをタップすると、共有やフォロー解除が表示される。
 
「エンジニアからのコメントはありません」これは誤表示ぽい。意味合い的にはキャンセルのようだ。まあそのうち修正されるでしょ。
 

アプリにうつる競争の舞台

2年ほど前までは「ブラウザだー」みたいな雰囲気もあったが、ここ最近では競争の舞台がアプリに移行している。昨年10月にニールセンが発表した調査では、アプリはスマホの利用時間のうち72%も占めていたそうな。

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また、一人あたり月に1回以上使用するアプリは27個で、月に10回以上となると9個しかない。毎日数多くのアプリが発表されているにも関わらず、ホーム画面のトップに置かれないアプリは全然使われない、っていう構造だ。

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アメリカでの調査結果でもアプリの利用個数は日本と同等の個数になっており、過去の推移をみても増加していませんので、今後日本でも、利用されるアプリの個数は27個前後を推移するであろうと予想されます。そのため、ユーザーに日々利用してもらえる新たなアプリをリリースする場合、アプリを提供する企業は既存のアプリを押しのけることができるものを作る必要があります

スマホ利用は27個のアプリで利用時間の72%を占める~ニールセン スマホアプリ利用状況を発表~ | ニュースリリース | ニールセン株式会社

「Realtime」でアプリ競争をどう戦うのだろう。市場はそのうち競争過熱で焦土になってしまうのだろうか。メディアバブルのこのご時世、一度全て吹っ飛んで阿鼻叫喚地獄となってしまえば、それはそれでそれぞれの矜持を垣間見ることができるのかもしれないなあと夢に見てまた寝る。

「台湾屋台・九龍本店」の唐揚げが唐辛子モリモリで美味い

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これまで何度も足を運んでは満席で撃沈し続けた新宿三丁目の台湾料理「九龍本店」。そうだ、電話して予約しよう。GWも終盤だしで今日こそと友人と連れ立って。始めてだったけれどもウマー。

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定番の餃子などはもちろんありつつも、まずは「ハツ・ガツ・ミミの三種盛り」から。これがねー美味いの。

ガツといえば個人的には吉祥寺いせやのガツだったのだけれども、九龍ガツも美味い。ネギがまたシャキッとして良い。

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麻婆豆腐。山椒ぽさも殆ど無いし、思ったよりあっさりしているのでとても食べやすい。とは言えそれなりの辛味があってビールに合う。お酒が進む進む。

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そんなに辛くないかもなあと思いつつもやってきた唐揚げ。思ったより赤い。申し訳程度にパプリカもちらほら載せられているけれども、結構赤い。 

とは言え激辛かと言われるとそこまででもなく、辛いなあ、ビールに合うなあという感じ。席を囲んだ友人ら3人のうち1人は平気そうに食べていたので、まあチャレンジというほどではない。ただ辛くて美味い。

GW終盤に良い辛味を味わえたなあ、とガバガバ飲んでいたら翌日に二日酔い。まあそうなるよね。

4人で食べて飲んでお腹いっぱい、それでいて3500円くらいだったかな。いいじゃない。ここはまた行きたい。

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「文鎮」でさえなくなってしまったiPod Classic


高校生の時にどんなの聞いてたかなあと、昔使っていたSONYのオーディオプレイヤーを引っ張り出して聞いている。スガシカオは今聞き直しても新鮮な言葉の使い方をしている。

「中くらいの女」とか、女性を表現する言葉で聞いたことあるか?

最近はもう殆ど聞かなくなってしまったけれども、そうした言葉選びの一つひとつに独自の肌触りを感じるのはスガシカオくらいだ。そこには大江健三郎のような雰囲気を感じる。戦時下におかれた子どもたちが疫病に遭遇して、という「芽むしり仔撃ち」なる本があってだね…そんな話はまたの時にでも。

ところで、そんなSONYのプレイヤーとは対照的に、iPodは今も押入れの中で眠っている。もう持ち歩くことは皆無で、文鎮でさえない。

「1000曲をポケットに」とのふれこみで登場したそれは、今やその魅力を減衰し続け、ラインナップの片隅で静かに眠るばかりだ。果たしてどれくらい売れているのだろう。

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SONYのプレイヤーは骨董品ではあるけれども、今やそこにしか残されていないデータを掘り起こすための貴重な存在だ。高校生の時に先生からもらった、ビートルズをトラックに落とし込んだ一枚は思い出深い音源だ(DJ Danger MouseのThe Grey Albumという)。

ただの再生機ではあるが、それにはそれなりの価値が残されている。たとえ、ゴミみたいな楽曲管理ソフトのせいでデータを移行できなかったり管理に手間取ったりしたせいであっても。

僕にとってiPodが価値をなくしたのは、単純にiPhone 6(64GB)とiTunes Matchを使い始めたからだ。片っ端からiTunes Matchに楽曲を上げて、聞きたいものだけをiPhoneに入れておく。その場で聞きたくなったらDLすれば良い。何も問題ない。

そもそもそんな大量の楽曲をちゃんと聞いていたかというと、甚だ疑問だ。というか聞いていなかったと思う。聞くのは大方その時々に好んでいたアーティストの楽曲ばかりで、なんとなくレンタルしたものや興味本位で買ってみたものなどは、HDDが控え目に記録してそのまま静かに忘れ去られていった。

もう大容量HDDの時代じゃないよね。

iPod Classicは時代の終焉を迎え、クラウドとハイレゾにバトンを渡しつつある。数が必要ならクラウドへ、大容量が必要とされるのは高音質の場合だけ。今のiPod Classicは、ユーザーからすれば一体どんな存在なのだろう?

何も「1000曲をポケットに」が間違っていたわけではない、ただそう変わっただけだ。押し入れからiPodを出してみて、なんとなくそんなことを思った。押入れにただ横たわる幾つかの筐体は、時代の趨勢について考えさせてくれる。

新宿三丁目のアフリカン・バー「エソギエ」の居心地の良さたるや

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GWも真っ只中となり、ぼちぼち何をやれば良いのか手持ち無沙汰となってきた5月5日。こどもの日にご母堂は、それらしい日を迎えようと右往左往していることと思われます。
 
まあとは言えやることもないので、千葉で行われてきたアニソンの催しに顔を出してから新宿三丁目で昔馴染みと食事など。そこでたまたま入ってみたアフリカン・バーが素敵だった。
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特に何も考えずにチャージもないとのことで入ってみたのだけれども、ここがとても居心地の良い場所だった。
 
オーナーのラッキさんも気さくだし、そこまでお高い価格設定でもないし、イスは食べ過ぎて増量気味の我が臀部のサイズにぴったりだしでなんと言うかおさまりがよい。
 
そこには「豊かな暮らし☆彡」なんてキラキラした雰囲気はないのだけれども、それでも手の届く範囲に残されたちょっとした居心地の良さだ。
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アルコールはナイジェリアのものが中心に用意されていて、ギネスもご当地もの、しかも中瓶。現地でしか生産されておらず、なかなか手に入らないものらしい。
 
食後だったのであんまり料理はたのめなかったのだけれども、羊肉をスパイスとともに調理した「スヤ」は美味かった。うむ、これはビールに合う。
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時折、店内でもライブ演奏をしているそうで、この日もジャンベを叩きながら歌ったり。思ったより叩くの難しいのね。
 
それでもお客さんも笑ったり声を上げたりで良い雰囲気。
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4人でだらだら飲みながら、アフロビートやらシティポップの軽妙さについてのあれこれなど、話しながら夜は更けて日をまたぐ。
 
帰り道で、僕はぼんやりと大学の先輩が言っていたことを思い出していた。「酔っていたら終わるもんだよ」。そんなものかもしれない。難しいことは考えずとも、ただ去っていくばかりに。飲み過ぎて頭が痛い。また行きたい。

tabelog.com

スタパ齋藤さんとGW中に考える、フリーライターという職業

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スタパ齋藤の「スタパブログ」 - ケータイ Watch - ケータイ Watch

「実質無職」のフリーランス






突き抜ける何かがないとダメなのか




フリーになることを考えるなら






「新しいメディア」の虚無感

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メディア界隈の変化が激しい。スマホシフトとソーシャルメディアの隆盛で情報流通構造はここ数年で激変したし、それは既存メディアのビジネスモデルやコンテンツの在り方にまで影響を及ぼしている。各社(の中の一部の人たち)はこれまでの戦い方ではまずいと、新しい環境に適応しようともがき、試行錯誤を繰り返している。

その一方で新しい勢力も出てきた。数多くのバイラルメディアやニュースアプリ。僕はどれほどの残骸を眺めてきただろう。

大量のガソリンを積んで登場したそれらの多くはさほど燃焼せずに退場し、幸運な幾つかはnetgeekに取り上げられてちょっとした花火を打ち上げてその後は定常運転だ。人はそれをスペースデブリと呼ぶ。

メディア市場の動向を探れば新しい何かが見えるかなあと思い、ニュース界隈に関わってからの2年半、ウォッチを続けてきた。著名人がブログを書いてはそれを読んでヒントを探り、新しいメディアが生まれては「あー、あそことバッティングするなあ、どう戦うんだろう」と思いながらはてブしたりツイートしたりしてきた。

生来からの収集癖で情報を集めるのは全く苦でなかったし、変化し続ける環境に身をおくのもどこか楽しさがあった。寝不足でもRSSリーダーの未読数をゼロにしないと落ち着かなかった。新しい何かが生まれる瞬間を見逃すのではないか、という奇妙な焦りがあった。ビッグウェーブを逃したくなかったのだ。

この数年で「ウェーブ」は幾つもあった。「NEWSどうぞ」なんてくっそダサい名前だったSmartNewsは今やニュースアプリの旗手として半端ない存在感を放っているし、The Huffington Postはいわゆる「バイラル」ではないけれども、ソーシャルからのトラフィックを地盤に成長を続け、今や「バイラル」の成功例だ。

そのウェーブに伴い、「これからのメディア」なんてイベントや議論を見かけることも多くなった。メディアウォッチャーも増え続け、上述したように色んなメディアなんかも出てきた。

価値ある何かは生まれたのだろうか。

僕の日々は特に何も変わらなかった。RSSリーダーを未読件数ゼロにしてからはてブをみて、ツイートをあさってふむふむとニュースを読み込む。別に新しい体験をもたらしてくれるメディアやコンテンツを、日常的に消費することなんてなかった。

「新しいメディア」や「新しいコンテンツ」は市場最適化したカタチで僕の前に現れるだけだった。「ソーシャルを基軸とした住宅・ライフ系コンテンツに市場可能性を感じる」。例えば、そう言った人たちがパッケージングを変えてやってきただけだった。

もちろんそれはそれで「新しく」はあるのだけれども、特に僕の中の何かが変わるわけではなかった。変化したのは流通だけだった。

流通の変化に最適化しただけのコンテンツ。

そんなことを二日酔いの頭でぼんやりと考えていると、なんだか虚しくなってきた。手元のiPhoneは今日もニュースアプリのプッシュに筺体を震わせる。「カカシと性行為した男性が変死 現場に奇妙な光景=アルゼンチン」。どうやらそれが、最適な情報を最適に届ける新しい時代のメディアのプッシュらしかった。カカシ。


最近になって、本を読むことが増えた。休日になると数冊の本を持って近所の焼鳥屋に行き、それを読む。お腹がふくれると今度は自宅に帰ってコーヒーを飲みながら読む。目が疲れてくると猫と遊ぶ。

下野新聞の60回にわたる連載「貧困の中の子ども」。そこには「新しいメディア」なんてものは皆無だし、文体はどちらかというとトラディショナルだ。でも、胸にくるものがあった。

貧困の連鎖と、そこから脱することのできない家庭環境の複雑さ、支援する人たちの思慮と家庭に関与することの難しさ。

「新しい」ってのは一旦置いておいて、いま、汗をかいている人は誰なんだろうと思った。脳裏に浮かんだのは少なくともカカシではなかった。僕は汗をかくカカシを知らない。

「新しい」を考え続けるのは大事だし、模索するのも良いけど、現実的に汗をかいて誰かの役に立つコンテンツを作り続けている人たちを忘れちゃいけないなあと、ガンガン痛む頭の中でぼんやりと思う。カカシの裏では、リアルな汗をかいている人たちがいるのだ。僕はそのことを忘れてしまいがちだけれども。

我慢できなくてドローン「TEAD Alien-X6」買った

前からほしいと思っていたのだけど、話題になり始めてから物欲が再燃し、買ってしまった。ヨドバシのポイントが溜まっていたので10,000円ほど。HDカメラで空撮しようとすると、どうしてもこの価格帯になってしまう。
200万画素しかないのは物足りないけれども…これより上のランクなら4万円とかしちゃうので、まあ仕方ないかなあ。



バッテリーは520mAhのものが2つ付属し、一つでだいたい5分〜8分ほどもつという。

帰宅してすぐに近所の公園に飛ばしに行ったら、園児たちが「すげーUFOだー!」「かっこいいー!」と声援を受けた。むふふ。いえーい。それいくら、と聞かれだいたい10,000円くらいだよと答えたら、返ってきた言葉が「うわー安いー!たった10,000円なんだー!」。

それ以降は安いー安物だーUFOだーとかそんな声援に変わった。すまぬ、この価格帯が限界だったのだよ。

風があったこともあり、操作は思ったより難しかった。すぐにバランスを崩して木にぶつかってしまうし、レバーをちょっと倒しただけで簡単に上昇したり下降したりしてしまった。この操作感に慣れるには時間がかかりそうだ。

店員さんに聞いたところGW前ということもあり、売れ行きはかなり良いとか。ただ、直前に購入してしまうと練習せずに連休に突入してしまうことになるので…と。セールストーク感もあるがまあそうだろう。これは練習が必要だ。

画質に不満はあれど、これで空撮することができる。今度の休みはもう少し広い公園なんかで飛ばしてみたいなあ。

記事読了率とシェアは無関係なのか

コンテンツマーケティング、ネイティブアドの隆盛を背景に、読了率をめぐる話題がホットなようだ。記事を通じてユーザーを見込み客へと育てたい広告主側と、スマホ市場の拡大でPVベースの収益構造に限界が見え始めたメディア側、双方のニーズにより盛り上がってきたのではないか。

これまではどの程度読まれたのかという指標に「シェア」を用いることもあったかと思うが、シェアと読了率はどのような関係性にあるのだろう?

関係性をさぐるのが難しい「シェアと読了率」

Upworthyが2014年の2月に発表した調査結果によると、シェアと読了率は簡単な1次関数のような関係性ではないらしい。
コンテンツの訪問者に占めるそのコンテンツをシェアした人の割合と、コンテンツのAttention Minutes(コンテンツの何%を読んだか)の相関関係をグラフ化した図がこちら(資料:Upworthy)。
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25%読んだだけの訪問者でもその8%近くがシェアしているが、完全に読了した後もコンテンツを開いている訪問者に占めるシェアした人の割合の方が高いことが分かる。最もシェアする人の割合が低いのは8割ほど読んでからコンテンツを離れた場合で、コンテンツにシェアする価値がないと判断した結果だろう。
読まずにシェアする人は意外と少ない──Upworthy調べ - ITmedia ニュース

Slateによる調査(Chartbeatsというツール使用)もシェアと読了率の関係性を読み解こうとしたものの一つだ
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多くの訪問者はスクロールせずに離脱し、50%前後を境に読了率は減少していく。
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そして読了率(スクロール率というべきか)とツイートの関係性をグラフ化したのが上の図だ。うむ、さっぱり分からん。無関係じゃね。

Chartbeatの主任データサイエンティストを務めるJosh Schwartz氏は次のように述べる。

(ある記事に関する)ツイート数とその記事へのトラフィック総数との間には、明らかに相関関係がある。だが、最もじっくりと読まれている記事と最も多くツイートされている記事との間に、関連性は全くない
多くの人はツイートした記事をあまり読んでいない--Chartbeat調査 - CNET Japan

読了率とはやや異なるが、BuzzFeedのデータサイエンティスト・チームは、シェアと滞在時間の関係性をこう話した。

ソーシャルメディアでシェアする人たちの大半は、デスクトップだと3分半、モバイルだと2分以上滞在してからシェアする。
You're not going to read this | The Verge

ここでいう「大半」がどの程度のものなのか、それぞれの滞在時間でどの程度シェア数に違いが出てくるのかなど、細かいグラフや記述を見つけることはできなかった。

「読了率」そのものがどうやって測定されているのか、スクロール率で測っているのかビーコン仕込んでビューで見ているのかなど、ツールによってバラバラではあるだろうが、読了率とシェアとの関係性は簡単には解き明かせなさそうだ。無関係じゃね。

色々と見ていて実感として思うのは、少なくともじっくり読む人はそんなにいなんだな、というものだ。「ざっくりvs.長文」なんてことが話題に上がったりもするが、文章の長短なんて本当はあんまり関係なくて、斜め読みでもざっくり主旨を理解できる文章構造だとか、何について述べているのかなどを想起させる画像の使い方であるとか、そういうものの方が大事なんじゃないのか、とか思ったりもする。

読了率でみるよりは、そういった構成要素とシェアとの関係性を読み解いたほうが、この場合は有益な結果が出るのかもしれない。