@d_tettu blog

メディアとかウェブとかネコとかそこらへん。たまに日記。

スタパ齋藤さんとGW中に考える、フリーライターという職業

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スタパ齋藤の「スタパブログ」 - ケータイ Watch - ケータイ Watch

「実質無職」のフリーランス






突き抜ける何かがないとダメなのか




フリーになることを考えるなら






「新しいメディア」の虚無感

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メディア界隈の変化が激しい。スマホシフトとソーシャルメディアの隆盛で情報流通構造はここ数年で激変したし、それは既存メディアのビジネスモデルやコンテンツの在り方にまで影響を及ぼしている。各社(の中の一部の人たち)はこれまでの戦い方ではまずいと、新しい環境に適応しようともがき、試行錯誤を繰り返している。

その一方で新しい勢力も出てきた。数多くのバイラルメディアやニュースアプリ。僕はどれほどの残骸を眺めてきただろう。

大量のガソリンを積んで登場したそれらの多くはさほど燃焼せずに退場し、幸運な幾つかはnetgeekに取り上げられてちょっとした花火を打ち上げてその後は定常運転だ。人はそれをスペースデブリと呼ぶ。

メディア市場の動向を探れば新しい何かが見えるかなあと思い、ニュース界隈に関わってからの2年半、ウォッチを続けてきた。著名人がブログを書いてはそれを読んでヒントを探り、新しいメディアが生まれては「あー、あそことバッティングするなあ、どう戦うんだろう」と思いながらはてブしたりツイートしたりしてきた。

生来からの収集癖で情報を集めるのは全く苦でなかったし、変化し続ける環境に身をおくのもどこか楽しさがあった。寝不足でもRSSリーダーの未読数をゼロにしないと落ち着かなかった。新しい何かが生まれる瞬間を見逃すのではないか、という奇妙な焦りがあった。ビッグウェーブを逃したくなかったのだ。

この数年で「ウェーブ」は幾つもあった。「NEWSどうぞ」なんてくっそダサい名前だったSmartNewsは今やニュースアプリの旗手として半端ない存在感を放っているし、The Huffington Postはいわゆる「バイラル」ではないけれども、ソーシャルからのトラフィックを地盤に成長を続け、今や「バイラル」の成功例だ。

そのウェーブに伴い、「これからのメディア」なんてイベントや議論を見かけることも多くなった。メディアウォッチャーも増え続け、上述したように色んなメディアなんかも出てきた。

価値ある何かは生まれたのだろうか。

僕の日々は特に何も変わらなかった。RSSリーダーを未読件数ゼロにしてからはてブをみて、ツイートをあさってふむふむとニュースを読み込む。別に新しい体験をもたらしてくれるメディアやコンテンツを、日常的に消費することなんてなかった。

「新しいメディア」や「新しいコンテンツ」は市場最適化したカタチで僕の前に現れるだけだった。「ソーシャルを基軸とした住宅・ライフ系コンテンツに市場可能性を感じる」。例えば、そう言った人たちがパッケージングを変えてやってきただけだった。

もちろんそれはそれで「新しく」はあるのだけれども、特に僕の中の何かが変わるわけではなかった。変化したのは流通だけだった。

流通の変化に最適化しただけのコンテンツ。

そんなことを二日酔いの頭でぼんやりと考えていると、なんだか虚しくなってきた。手元のiPhoneは今日もニュースアプリのプッシュに筺体を震わせる。「カカシと性行為した男性が変死 現場に奇妙な光景=アルゼンチン」。どうやらそれが、最適な情報を最適に届ける新しい時代のメディアのプッシュらしかった。カカシ。


最近になって、本を読むことが増えた。休日になると数冊の本を持って近所の焼鳥屋に行き、それを読む。お腹がふくれると今度は自宅に帰ってコーヒーを飲みながら読む。目が疲れてくると猫と遊ぶ。

下野新聞の60回にわたる連載「貧困の中の子ども」。そこには「新しいメディア」なんてものは皆無だし、文体はどちらかというとトラディショナルだ。でも、胸にくるものがあった。

貧困の連鎖と、そこから脱することのできない家庭環境の複雑さ、支援する人たちの思慮と家庭に関与することの難しさ。

「新しい」ってのは一旦置いておいて、いま、汗をかいている人は誰なんだろうと思った。脳裏に浮かんだのは少なくともカカシではなかった。僕は汗をかくカカシを知らない。

「新しい」を考え続けるのは大事だし、模索するのも良いけど、現実的に汗をかいて誰かの役に立つコンテンツを作り続けている人たちを忘れちゃいけないなあと、ガンガン痛む頭の中でぼんやりと思う。カカシの裏では、リアルな汗をかいている人たちがいるのだ。僕はそのことを忘れてしまいがちだけれども。

我慢できなくてドローン「TEAD Alien-X6」買った

前からほしいと思っていたのだけど、話題になり始めてから物欲が再燃し、買ってしまった。ヨドバシのポイントが溜まっていたので10,000円ほど。HDカメラで空撮しようとすると、どうしてもこの価格帯になってしまう。
200万画素しかないのは物足りないけれども…これより上のランクなら4万円とかしちゃうので、まあ仕方ないかなあ。



バッテリーは520mAhのものが2つ付属し、一つでだいたい5分〜8分ほどもつという。

帰宅してすぐに近所の公園に飛ばしに行ったら、園児たちが「すげーUFOだー!」「かっこいいー!」と声援を受けた。むふふ。いえーい。それいくら、と聞かれだいたい10,000円くらいだよと答えたら、返ってきた言葉が「うわー安いー!たった10,000円なんだー!」。

それ以降は安いー安物だーUFOだーとかそんな声援に変わった。すまぬ、この価格帯が限界だったのだよ。

風があったこともあり、操作は思ったより難しかった。すぐにバランスを崩して木にぶつかってしまうし、レバーをちょっと倒しただけで簡単に上昇したり下降したりしてしまった。この操作感に慣れるには時間がかかりそうだ。

店員さんに聞いたところGW前ということもあり、売れ行きはかなり良いとか。ただ、直前に購入してしまうと練習せずに連休に突入してしまうことになるので…と。セールストーク感もあるがまあそうだろう。これは練習が必要だ。

画質に不満はあれど、これで空撮することができる。今度の休みはもう少し広い公園なんかで飛ばしてみたいなあ。

記事読了率とシェアは無関係なのか

コンテンツマーケティング、ネイティブアドの隆盛を背景に、読了率をめぐる話題がホットなようだ。記事を通じてユーザーを見込み客へと育てたい広告主側と、スマホ市場の拡大でPVベースの収益構造に限界が見え始めたメディア側、双方のニーズにより盛り上がってきたのではないか。

これまではどの程度読まれたのかという指標に「シェア」を用いることもあったかと思うが、シェアと読了率はどのような関係性にあるのだろう?

関係性をさぐるのが難しい「シェアと読了率」

Upworthyが2014年の2月に発表した調査結果によると、シェアと読了率は簡単な1次関数のような関係性ではないらしい。
コンテンツの訪問者に占めるそのコンテンツをシェアした人の割合と、コンテンツのAttention Minutes(コンテンツの何%を読んだか)の相関関係をグラフ化した図がこちら(資料:Upworthy)。
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25%読んだだけの訪問者でもその8%近くがシェアしているが、完全に読了した後もコンテンツを開いている訪問者に占めるシェアした人の割合の方が高いことが分かる。最もシェアする人の割合が低いのは8割ほど読んでからコンテンツを離れた場合で、コンテンツにシェアする価値がないと判断した結果だろう。
読まずにシェアする人は意外と少ない──Upworthy調べ - ITmedia ニュース

Slateによる調査(Chartbeatsというツール使用)もシェアと読了率の関係性を読み解こうとしたものの一つだ
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多くの訪問者はスクロールせずに離脱し、50%前後を境に読了率は減少していく。
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そして読了率(スクロール率というべきか)とツイートの関係性をグラフ化したのが上の図だ。うむ、さっぱり分からん。無関係じゃね。

Chartbeatの主任データサイエンティストを務めるJosh Schwartz氏は次のように述べる。

(ある記事に関する)ツイート数とその記事へのトラフィック総数との間には、明らかに相関関係がある。だが、最もじっくりと読まれている記事と最も多くツイートされている記事との間に、関連性は全くない
多くの人はツイートした記事をあまり読んでいない--Chartbeat調査 - CNET Japan

読了率とはやや異なるが、BuzzFeedのデータサイエンティスト・チームは、シェアと滞在時間の関係性をこう話した。

ソーシャルメディアでシェアする人たちの大半は、デスクトップだと3分半、モバイルだと2分以上滞在してからシェアする。
You're not going to read this | The Verge

ここでいう「大半」がどの程度のものなのか、それぞれの滞在時間でどの程度シェア数に違いが出てくるのかなど、細かいグラフや記述を見つけることはできなかった。

「読了率」そのものがどうやって測定されているのか、スクロール率で測っているのかビーコン仕込んでビューで見ているのかなど、ツールによってバラバラではあるだろうが、読了率とシェアとの関係性は簡単には解き明かせなさそうだ。無関係じゃね。

色々と見ていて実感として思うのは、少なくともじっくり読む人はそんなにいなんだな、というものだ。「ざっくりvs.長文」なんてことが話題に上がったりもするが、文章の長短なんて本当はあんまり関係なくて、斜め読みでもざっくり主旨を理解できる文章構造だとか、何について述べているのかなどを想起させる画像の使い方であるとか、そういうものの方が大事なんじゃないのか、とか思ったりもする。

読了率でみるよりは、そういった構成要素とシェアとの関係性を読み解いたほうが、この場合は有益な結果が出るのかもしれない。

たまの休日には食パンとクリームチーズとアボカドと

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食パンをトーストしてクリームチーズを塗り、アボカドをのせて胡椒をふっただけ。

これだけでも十分美味い。

食パンは高円寺の食パン専門店の「一本堂」にて。250円~とお手頃な割にもちもち。

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気候も穏やかになってきた。春の日。

まだ桜も残っていたりする。

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いやー暖かいっていいね。

BuzzFeedとThe Guardianのシェアされているものが想像とズレてた

リスト型で稼いでいるんでしょ?と思っていた時期が私にもありました

「どうせリスト型とか速報なんでしょ?」と思っていた節もあったが、ソーシャル系分析サービスを提供するBuzzsumoの調査によると、どうやらBuzzFeedとThe Guardianで長文がシェアされている傾向にあるという。buzzsumo.com

対象となったのは4月1日〜10日の10日間、BuzzFeedは2,426記事(平均5,263シェア)、The Guardianは6,717記事(平均485シェア)。それぞれの投稿タイプ別の分布図は以下のようになっている。

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「What Post」ってなんやねんという話はちょっと置いておいて、筆者は「BuzzFeedのショートコンテンツがシェアを稼いでいると思うかもしれないが」と述べる。が、実際のところは「3,000文字以下のコンテンツが多くを占めたが、長文の方が平均で38,000シェアされるなどかなりのパフォーマンスをたたき出している」。

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昨年末に書いた投稿で、Huffington Post UKの編集長の長文について引用したことを思い出す。

「それは200文字で表現できないよね。君はツイートで反応することはできるけど、何を本当に意味しているのか、何について話しているのか、彼らの信念は何なのか、君のグッときたことについては、そんな少ない言葉じゃ表現できないはずだ」。

ハフポ編集長は、長文型の情報消費をサポートするものとして、「immersive(没入)」と「interactive」、「simpler combination of text and images(テキストと画像のシンプルな組み合わせ)」を挙げるが、そのあとに「君が書いているものに『中身』があること、その言葉が強くて意味深いものであること」も同様に大事であると話す。

tettu.hatenablog.jp

なお、付け加えておくと、最もシェアされたものはBuzzFeed、The Guardianともに画像まとめだったらしい。

こちらの「小学校を思い出す画像まとめ」は3,000,000シェア。www.buzzfeed.com

こっちの「人口過剰、行き過ぎた消費が何をもたらすか」は500,000シェア。www.theguardian.com

ひたすらシェアを模索し続ける、特にBuzzFeedにとって、これも一過性のものかもしれない。実際にどのようなコンテンツがシェアされているのか実例を並べてみたわけではないのではっきりは言えないが、「パパッと作って終わり」の時代が終焉を迎えると、まあ悪くはないよなあと思ったりはするわけで(リスト型が悪いとかそんな簡単なことは思いません)。

とはいえ日本だとSNS市場が海外と比べてそこまで大きくないし、そこだけで重厚なコンテンツやろうとするとすぐ息切れしそうだなあなど思うので、地味にけんすうさんの取り組みが気になったりする。単価上げて体力つけて、ちゃんとしたの出そうとするの大事。

飯田橋のビアバー「ラ・カシェット」で飲んだ霞桜

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メディア系の同業者がちらほらと集まって、飯田橋の「ラ・カシェット」で食事なんぞ。

当日は「東京ビアウィーク」という、クラフトビールを応援する期間中だったこともあり、御殿場高原ビールのスタッフさんもいらっしゃった。

330mlでいつもなら850円ほどのビールを、この日は650円で提供。上の写真「霞桜」という銘柄のビールは、御殿場高原ビールの初期に、外国人の製作者が「桜をイメージして作った」(あくまでもイメージなので桜は使っていない)一品だそうな。

エール系のようなくちあたりではあるけれども、濃すぎず飲みやすい。

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これはバナナの香りがする「ヴァイツェンボック」。ほんとにバナナ。美味い。

また飲みに行きたくなっちゃうなー。tabelog.com

「長文は読まれる」って本当にそうなのか

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検証の必要性


「長文でも読まれる」「いやあスマホだとざっくりがいいよ」。

同業者とコンテンツの長さについて話が上がると、ここについてはTwitterでの反応を見ながら「読まれないわけではなさそう」といった結論に至ることが多い。まだ読了率などの指標を取り入れているところも少ないからか、どうもぼんやりとした会話になってしまう。

体感として長文でも読まれるもの、刺さるものがあるというのは理解できるが、ちゃんと読む人がどれくらいいるのか、読了率でいうとどの程度の消費率なのかは気になるところ。これ、ちゃんと検証したところあるのかなあ。


長いにしろ短いにしろ、ユーザーにとって何かしらの「発見」がないとアカンねという点は変わらない。まあ、つまんなくて長文となるとガッカリ感が半端ない。

昨年末にハフポUK編集長の言っていたことを紹介したけれども、長文には長文であることの理由というか、必要性がないと単にだるい読み物になってしまう。「それは200文字で表現できないよね。君はツイートで反応することはできるけど、何を本当に意味しているのか、何について話しているのか、彼らの信念は何なのか、君のグッときたことについては、そんな少ない言葉じゃ表現できないはずだ」。
2015年は「バイラル」から「長文」に移り変わるのかもしれない - d_tettu's blog

今のスマホユーザーは浴びるほどの大量の情報にさらされているため、費やす時間に対して、どれだけのものが得られるか、という時間あたりの満足感についてはとにかく厳しい、というのが実感だ。長いのならば、長い必然性と最後まで読ませるクオリティを備えていなければ読まれない。単純だが、結局そういうことなのだと思う(伊藤大地)
データビジュアリゼーション、動画、長文記事......編集者として思ったこと【編集ノート】 | 伊藤大地

阿佐ヶ谷のビアバー「STONE」に行ってきた

せっかくの休日だし飲みながら本でも読もうかと、前から興味があった阿佐ヶ谷「STONE」に行ってきた。阿佐ヶ谷駅の北口から徒歩5分ほど、飲み屋がズラーっと立ち並ぶスターロードの奥にあるIPA推しのビアバー。
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IPAだけでなくカクテル、ウイスキーなどもある。パイントが980円、チーズの燻製が500円、サンドが680円とまあ価格帯はまあそんなもんかというところだけれども、美味い。特にサンドはコショウがきいていてぐー。近所で気軽に足を運べてこれならいいなあ。

店内にはショップも併設していて、気になるビールやボトルがあれば持ち帰ることもできる。
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ちなみに読んでいたのはECDの人生相談本「人生は電気グルーヴ」。これまた近所の古本屋で見かけたので買ってみたもの。奥さんが企画・編集をした一冊らしく、ちょっとした出回っていないみたい。だからなのか1200円。逆に興味わいた。
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また川名に行きたい。tettu.hatenablog.jp

佐々木俊尚さんが語るTABI LABOとこれからのメディア像

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ちょうど1年で、月間4000万PV、600万UUにまで成長したというTABI LABO。佐々木俊尚さんは「文化的な訴求力を保ちながら展開してきたという意味では、この成長ぶりはかなり驚異的なんじゃないかな」と話す。

これからの未来をつくる人の姿を描くというSpotwriteが3月29日に公開した動画から、TABI LABOと佐々木俊尚さんについて、主な部分を書き起こしてみた。これを見ると「あー名前貸しとかそういうさらっとした関係性じゃないのかもなあ」という印象を持つ。

TABI LABOについて語る佐々木俊尚さん

「色んなモノが変わってきている。明日はもっと良くなる、皆で頑張ればもっと豊かになれる。というようなモデルが成り立たなくなってきている中で、新しい生き方ってなんなのか、というようなことを考えなければいけない時期にきているのは間違いないです。

「そのタイミングが、2010年代の今だってことだと思います。

「世界中のコンテンツがあります。こういうのを集めてくる、自分の価値観で様々に探し出してくるというのがキュレーションという行為。例えば、どんな記事だったらTwitterでRTされるのか、どんな記事だったらFacebookでシェアされるのか様々なプラットフォームの特性と、こちらが配信するコンテンツの画像の使い方とか、文章の短さ、色んな要素によって、組み合わせが無限に広がっていくわけですね。

「その無限に広がっていく組み合わせを、きちんとデータ分析することによって、徹底的に読者のもとにきちんと送り届けるという。このやり方をどこまで構築できるか、ということだと思っています。

「我々はコンテンツをよりたくさん、我々の文化に沿った形で、紹介していくというのが、TABI LABOのやっていること。

「美食をしたりするよりも、家でみんなでご飯を食べたり飲んだりするほうが楽しいよねと、着心地の良い安い服を、普通にこざっぱり着こなそうという文化だったりとかですね。新しい世界的に生まれてきている都市文化みたいなものを、日本国内で一つのメディアとして表現していこうかなと考えています。

「世界に、ふれるためのメディア。

コミュニティ型へと進む

シーンは変わって代々木のTABI LABOオフィス。なんかアヒージョとか作ろうとしている。TABI LABO主催、アンバサダーを交えたパーティのための準備だとか。

「アンバサダーといって、TABI LABOのファンになってくれている人たちが何百人かいるんですけど、要するに、自分たちの代わりに良さを広めてくれる人を、アンバサダーという呼び方をしていて、一緒にコミュニティを作ってくれる人、みたいなイメージで捉えています。

「インターネットという双方向性のメディアが登場したことによって、メディアの役割がですね、お互いのコミュニケーションを増幅させるような、そういう、一種の新しい場を作る方向にきてるんじゃないかなと考えています。

「TABI LABOのやっていることは単にコンテンツを流すことだけじゃなくて、そのコンテンツを軸にして、多くの人が集まり、それで人々は一つの新しいTABI LABOというコミュニティ形成する、そういう方向に進みつつあります。

メディアの将来像は

「基本的にジャーナリズムというのはですね、すごい第3者的な立ち位置なんですね。自分自身でTwitterとかFacebookとかで発信できるようになってしまうと、第3者であるジャーナリストの役割って一体何なんだっていうことが問い直されるような状況でもあるわけですよ。

「そういう時に「自分自身が行動すること=一つの表現」となるというような新しいジャーナリズム、新しい表現者の在り方というのが僕は必要なんじゃないかと思っていて。だから今、TABI LABOという新しいメディアは新しい人と作るっていうことも、僕にとっては新しいメディア表現であると。

「だから「行動=メディア」という風に変わってきているというのはありますね。

「メディアと言うのはですね、空間なんですね。立体的な。かつて、テレビ見ているときはお茶の間だけ、新聞を読んでいるときは新聞紙の中だけだったんだけど、今メディア空間ってスマホとかすごく我々の生きている空間、生活部分そのものが全てメディア化されていくであろうと。

「だから、10年先、20年先のメディアってなかなか想像がつかないんですけど、とにかくその全ての生活空間のインフラになっていく、そういう基盤としてのメディア、っていう将来像を僕は考えています。

メディア化していく「自分」

アンバサダーの一人の男性は「リアルなところで繋がっていけば、そこでもなにか違う縁が生まれてくるんじゃないかなと思うから。例えばここでネットワークが出来たとしたら、この人と何かやってみたいなとか。そういうのがどんどん広がってくれるといいかなと思います」と話す。

ここでは、コンテンツの話は全く出てこない。

BuzzFeedとHuffington Post共同ファンダのJonah Perettiはかつて、Facebookの世界におけるコンテンツの役割について「メディアはあなたの感情を説明するために存在する」「人々は自分を定義するものをシェアする」と話した。

世界観そのものは似ている。その世界ではコンテンツは別になくても良いとさえ思えてくる。大事なのはコンテンツの在り方ではなくて、関係性の在り方や、「場」なのかもしれない。

バイラルメディアを名乗っていたあらゆるメディアが今では死屍累々と聞くが、見ていた世界がそもそも違っていたような気がする。

コンテンツは重要だが、もっと重要なのは、友だちと笑いを共有できることだ。by Jonah Peretti