コロコロとゲーム速報「刃」にみる"わかりやすさ"
ふと手にとったコロコロコミック
年が明けてちょっと時間もできたので、ふと本屋に立ち寄った先にコロコロコミックを見つけた。そういえば小さい時に読んでたなあ、サイズも変わってないなあ。ミニ四駆とか読んで大会とか出たなあ。「いけぇ!マグナムトルネード!」
どこか懐かしくなってので買ってみた。「コロコロコミック別冊2月号」。
妖怪ウォッチを激プッシュした内容で、何に使うかよく分からない箱までついてきた。「コンプリートとりつきBOX」なる一品で、カードを320枚ほど収用できるらしい。
作ってみたらこのようなものになったのだけど、これどうやって組み立てるんだ…?テープを使うにしてもガチガチに留めちゃうと開かなくなっちゃう…。
というわけで無理やりパパっと形つくってまあよしとした。この他にカードもついてきた。よくわからないのだけど、ジバニャンのカードが光っているのだからレアなんだろう。それぞれ種類が異なるので、色々と出ているのかもしれない。
小さい時に流行ったポケモンカードやギャザを思い出した。いろいろ集めたなあ。
ひと通り付録を確認した後にその内容を読んでみたのだけど、変なひねりなんてなくてドストレートに分かりやすいストーリー、ギャグのオンパレード。子供向けというものはこんなに分かりやすいものなのか。
「股間に羽根つきのたまが直撃!」→「○玉が3つに!」ドヒャー
「カードバトルだ…あれ、ソードが大根…?」→「大根カードでした」ドヒャー
流動食的な分かりやすさ
もちろんこういったギャグだけではなくて、いわゆる小学生にとってグッとくる(であろう)マンガに関しても、とても分かりやすいものが多かった。それこそ20年弱ほど前の記憶しかないのだけれども、当時のコロコロコミックも同様にとても分かりやすいものだった気がする。
何が分かりやすいって、展開が基本的に「A→B」のみ。「ボケ→ツッコミ」「裏切り→逆転」「葛藤→やっぱり友達」。これだけ。また、難しい表現もない。「あ、これはこういう風に解釈すればいいのね、キャラが大げさに泣いてるし(笑ってるし、突っ込んでるし…etc)」。
解釈、反応に困らない。
文字数も少なめでコマ割りも少なめ。オチの場面はコマをでかくしてひたすらフィーチャー(基本か)。
そんな風に、読んでいると「解釈の労力の少なさ」をところどころに感じる。読者を馬鹿にしているとかではなく(ギャグ自体はちゃんと練られていると思う)、ひたすらに分かりやすい。
ゲーム速報「刃」あたりのやる夫を思い出す。こういうの。
「ハーフの子を産みたい」という理由で外国人向けシェアハウスに住む日本人の女子wwwwww : オレ的ゲーム速報@刃
これもタイトルからして「解釈に労力を使わなくていいよ」というメッセージである。ユーザーは「そこまでしたいかwww」と指をさして笑えばよいだけだm9(^Д^)プギャー。そしてツッコミ待ちのやる夫を見て「ちょっw」とか言えばよい。
分かりやすい。まさに咀嚼の必要のない流動食。ドロッドロの流動食。
ここに情報があるじゃろ?
( ^ω^)
⊃ジョウホウ⊂
これをこうして…
( ^ω^)
≡⊃⊂≡
( ^ω^)
⊃⊂
( ^ω^)
⊃ 意 味 ⊂
どちらを立てているのか貶めているのかよく分からなくなってきたのだけれども、分かりやすいという指標を考えた時にこれって同レイヤーで考える参考になるよなという事例を示しただけなのであしからず。
コロコロコミック編集長によると、つぎのような方針を立てているという。
マンガ表現の流行による変遷はもちろんあるけど、1977年の創刊当時から基本的な表現方法は変わりません。編集方針としてお願いするのは『子どもはマンガを読むのが遅いので、一コマずつ背景までしっかり描くこと』くらい。
(中略)
他誌との違いは、読者を追いかけないことだと思うんです。中学生になった瞬間きっぱり卒業してもらう。既存読者の成長に合わせて雑誌を変えていくことはしません。だからいつの時代も、小学6年生以下の層を確実に掴んでいられる。いわば“ガラパゴス化”していることが強みです。
コロコロ編集長に聞く“マンガを読めない子どもが増えている”の真偽 ―子どもを舐めてはいけない | ダ・ヴィンチニュース
なるほど。
ターゲットの変化がそこまで大きくなければ、確かに表現方法などを大きく変更する必要はないのかもしれない。小学3年生が急にスマホを中心とした情報消費に転換するわけでもないし、知的能力を数年分もかっ飛ばすほどに急成長するわけでもないだろう。
デジタルゲームの登場でリテラシー自体がそれほど急変するとも思えない。
コロコロコミックにしろ「刃」にしろ、「解釈の労力の少なさ」という意味でひたすらに分かりやすい。そして反応しやすい。
「分かりやすい」とは何か、それはある種の流動食のようなものなのだろう。もしかしたらそれは、場合によっては僕らの顎を細らせるものなのかもしれないけれども。