@d_tettu blog

メディアとかウェブとかネコとかそこらへん。たまに日記。

さよなら、Googleリーダー

死にゆくGoogleリーダー

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Googleリーダーを開く。未読が大量に並んでいる。
あれ、と思いながらすぐに気付いた。そうか、普段使っているSylefeedはもう独立したんだ。
サービスが終わるまであと48時間もない。ユーザーはデータをエクスポートして別サービスに移行している。
Googleリーダーが死ぬ、それが現実になる。

ネット遍歴

Googleリーダーに出会うまでの流れを、少し思い出してみる。

侍魂なんかのテキストサイトにドハマりした小学生時代、そのあたりから狂ったようにウェブを漁り始めた。今でもTogetterや2ちゃんまとめのフォントいじりを見ていると、ああ、あの頃の世界観は別のカタチで生きているんだな、と感じる。
学校生活の合間にろじぱらなどを見つつ、PCで遊べるビーマニ(みたいなフリーゲーム)の音源を探し続けた。「あれ、この音源なんで聞けないんだ?」なぜかヤマダ電機の店員さんに拡張子について聞いたこともあった。

気が付いたら中学生になって、あいも変わらずネットサーフィン。
近所のおにいちゃんに怪しいサイトを教えてもらい「パンピーどもの知らない世界を知ってる俺」みたいな変な感覚に陥る。もちろん恥ずかしくてあんまり言えない。携帯を手に入れ、その傾向は加速しつつあった。

高校に進学して、少しずつ微調整された。
バイトや生徒会なんかをやりつつ、たまに朝までゲーム&ネット、授業中は睡眠という日々。本を読んだり受験勉強をしたりで「どっぷり度」は減少したが、一時的にジャンキーと化すこともあった。

「都会に出れば何か変わるかも」などと30代前後のこじらせた系女子みたいな発想で東京に進学。引っ越しなんかでもそういう気持ちになること、あるよね。

一人暮らしを始めて静かなネット環境を手に入れた。それが2006年。Googleリーダーの生まれる1年半前だ。
その頃はまだ、ただのネット好きな学生だった。Yahoo!を見て適当に検索してふらふら回遊して。情報を追うのもサイトを「ブックマーク」、ブラウザを開くたびにそれぞれのサイトを訪問した。
「更新履歴」なんて概念がまだ有効だった時だ。

出会い

http://instagram.com/p/bJkwKBD7Fb/
それから暫く時が経ち、たしか、友人に教えてもらう形でGoogleリーダーに出会ったような気がする。

正直、覚えていない。
増え続ける「訪問すべきサイトリスト」の処理に困っていた僕にとって、とても助かるサービスだった。「なるほど、ここだけ見ればいいのね」。RSSの偉大さを崇めた。

それから今まで、Googleリーダーと一緒にやってきた。
気になるサイトがあればGoogleリーダーに登録して、分かりやすいようにタグ整理もした。もう要らないな、なんてサイトは即刻排除。

iPhoneを手にれて、Googleリーダーの活用は加速した。排便している時も、通学中も、バイト先の某新聞社で先輩にゴミカスみたいな扱いを受けて床に寝ている時も、欠かさずチェックした。

「もうこれなしじゃ生きられないな」。そう思った。

Googleリーダー終了のお知らせ

その後も、Googleリーダーを変わらず使い続けた。リニューアルに各所で投げられる罵倒の声を聞いて「そんなことはない、Googleリーダーは正しい」とつぶやく。もちろん誰も見ない。

仕事(ウェブ。検索系→ニュース系)に就いたことで、その重要性はうなぎのぼり。朝起きて布団の中でうにゃうにゃしながらGoogleリーダー。帰りの電車内でGoogleリーダー。寝る前にもGoogleリーダー
ずっと一緒だった。誰かと結婚するときは席を用意しようと思った。「こちらは新郎が生活する上で欠かせない存在でして…」なんて言われて僕は照れ笑い。「いやあw」ニコニコ
え、気持ち悪いって? 愛情はいつも当事者にしか理解できないのですよ。

そんな毎日にも、変化がおとずれた。
ソーシャル系サービスを利用する時間が増えてきたことだ。

iPhoneのドッグ部分にはTwitterFacebookが並び、Googleリーダー系のアプリは「ニュース」なんていうフォルダに入れられた。
RSSとは別の「フィード」が流れてくるのが面白かった。しかもリアルタイム。それが有益であるかどうかは別として、飽きなかった。少しずつGoogleリーダーでコンテンツを消費する時間が減っていった。

気づかないうちに、僕は未来を選択していたのかもしれない。

そんな折に「Googleリーダー終了」とのお知らせが届いた。職場で「おいおいマジかよ」と話し合った。ショックだった。あのGoogleリーダーが捨てられるなんて。Google、君の言う「情報を整理する」の理念はどうなったんだ? 時代は変わってしまったのかい? もちろん誰も答えてくれない。なぜかマット・カッツの笑顔を思い浮かべた。

消えゆく「RSS

とは言え、理解できないことでもなかった。人間の消費できる情報には限りがあり、RSSの「機械的に情報を吐き出し続ける」というやり方は、情報洪水のこの時代に適切な解答ではない。
ネット上でもそんな声が幾つも見られた。RSSの必要性を述べるブログもある中、「ソーシャル全盛のこの時代に、ただ情報を吐き出すRSSなんて時代遅れだよ」なんて記述を各所で見かけた。

確かにそうだろう。RSSは消えていく技術なのかもしれない。
Gunosyなどに見るレコメンド型の整理、Twitterなどを利用した人によるフィルタリング型の整理、情報流通の在り方は明らかに変化している。

しかしその源泉にあるのは「RSS」ではないだろうか。特にソーシャル・フィルタリングは洪水の中から「宝石」を見つけ出す人がいて成り立つサービスだ。
記者と同じだ。大量でカオス化する洪水の中から情報をすくい上げ、それに価値を付与するのは人にしかできない。少なくとも、今はまだ。
ソーシャル・フィルタリングは、属するクラスタがバカ化すると一気にみんなバカになる。アホアホ~うんこたれ~。ニコちゃん大王もびっくりだ。

ネット上での行動履歴やつぶやき、趣味趣向を分析してレコメンドするにしても、その源泉がソーシャル・オンリーで蛸壺化していると意味は薄れる。
セレンディピティが人には必要なんだ。そしてそれを見つけるには「RSS」は欠かせない、僕はそう思う。
セレンディピティが機械によって管理される時代も、ともすればやってくるのかもしれないが。

ともあれ、Googleリーダー終了によって「RSS」は衰退の一路をたどる印象が強まった。
その先には何があるのだろう? なんだか怪しいにほいがするよ。

今日は6月30日。公式発表によれば明日、Googleリーダーは終了する。僕はSylefeedなりThe Old Readerなりを使ってRSSを追い続ける。

今までありがとう。そしてさよなら、Googleリーダー。君のいない世界は寂しいよ。


あーあと3時間もしたら仕事にGOだよ。寝ないで何を書いてんだか。



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