「右」や「左」じゃなくて、個別具体的なとこから考えようよっていう話。
大まかな傾向はあるだろうけど、広い視点から分類するんじゃなくて、低い視点から積み上げていくのがいいんじゃないかなと思うのよ。
個別具体的な事案への立ち位置を考えて、その累積が方向性を示す、みたいな。
それがまた「自分はどんなバイアスを有するのか」といった確認にもなるしね。
古田さんが言ってた
「右」「左」という分類ってそもそも意味がないと思います。定義づけが難しい。この本で利用している「保守」「リベラル」という分類は道徳心理学に基づいていてわかりやすいです。yourmorals,orgというサイトで説明しています
— 古田 大輔 (@masurakusuo) 2014, 8月 11
右と左という言葉ではわかりづらい事例を紹介。ぼくは自衛隊の海外派遣にも、日米同盟にも、限定的ながら集団的自衛権にも賛成です。労働市場の流動性を高める経済的な施策が必要と思っています。ではぼくは右でしょうか左でしょうか?このように現実の政策への賛否は右と左では分類不可能です
— 古田 大輔 (@masurakusuo) 2014, 8月 11
この本では以下の指標を紹介しています。「ケア・危害」「公正・欺瞞」「忠誠・背信」「権威・転覆」「神聖・堕落」。これらの指標のどれに強く反応するかでリベラルと保守を分類する試みです。最初の2つにつよく反応するのがリベラルで、残りの4つにも反応するのが保守と説明します
— 古田 大輔 (@masurakusuo) 2014, 8月 11
この分類で言えばぼくはリベラルです。ですが、リベラル・保守のそもそもの分類、人間の理性を信じる革新的な意味でのリベラルとそれに対する保守というような分け方もあり、それで言えばぼくは保守です。人間の理性をあまり信じていないので
— 古田 大輔 (@masurakusuo) 2014, 8月 11
なので「私は保守」という人には「何の分類に基づいて?」という疑問を感じます。「国を愛しているから」という人も散見しますが、よく意味がわかりません。その場合、国とは何を指すのか。政府のことか、それとも歴史や文化のことか。国民も含めた存在か
— 古田 大輔 (@masurakusuo) 2014, 8月 11
ぼくが国という言葉で連想するのは、クストリッツァ監督がアンダーグラウンドのラストシーンで描いた「a piece of land」です。それであれば、ぼくは熱烈に愛しています
— 古田 大輔 (@masurakusuo) 2014, 8月 11