@d_tettu blog

メディアとかウェブとかネコとかそこらへん。たまに日記。

スク水と神と僕と

すくうるみずぎがすきなひとたち

世の中にはスク水が好きな人がいる。どうしても好きな人がいる。
それが性的抑圧から生まれたものなのか、成長過程で何か啓示を受けて得たものなのかは知らない。

僕は好きではありません!

でもまあ、そんな人もいるんだ、と認識し始めたのは、小学校の頃に「ろじぱら」を読み始めてからだ。
当時テキストサイトとしてそれなりの規模だったそのサイトで、僕は毎日のように日記を読んでいた。
その中にひとつ、なぜかスク水を着るという出来事。読者からスク水を送られて、どうしようか悩んだ挙句に試しに着てみる、というものだった。

「…早速ですが、ワタナベさまはスクール水着お好きでしたよね?先日、押し入れから以前わたしが使っていた水着が出てきたんですが、もし良かったらワタナベ様に差し上げたいと思ってご連絡しました」

安西先生…水着が…欲しいです…。
http://logipara.com/zaregoto/school_mizugi1.html


ふむ。


筆者の方がどういう性的趣向をお持ちなのかはちょっと分からないが、少なくともスク水は「そういった」機能を果たし得るのだと知った。
それから僕も成長し、世の中には様々な大人がいるのだと気付く。スク水を好きな大人がいれば、長靴が好きな大人もいる。車が好きな大人がいれば、二次元の少女が好きな大人もいる。
どうしてそうなったかは知らない、ただ、そういうものなんだなあと。


社会的には、スク水を着て「きゃっきゃうふふ」しているおっきいおともだちは、おそらく変態というフィールドにカテゴライズされるだろう。
スク水を神棚に祀ったり、何種類ものスク水を集めてそれぞれのちょっとした差異に熱を上げたりすることも、同様に「なんだかおかしい」と思われるだろう。

そう、スク水に名札が付いているか否かで議論しているそこのあなた、あなたもそれがどう「普通」からズレているかはある程度認識しているはずだ。
スク水に「やまだ」(ともすればゴリゴリのいもっぽい男を想像しかねないこの単語の響き)との名札があるかなしかで、何がどう変わるのか、僕にはちょっとわからない。


まあ、いいじゃん。
よく分からない喜びがあっても。


スク水の名札の有無どちらが良いか議論している集団を、僕たちは変な奴等だと思うかもしれない。

神に祈るときにどう十字を切るかで論争が起きた場合、それはどうだろう。
十字を交差する際に何本の指を用いるべきか、そんなことで論争が起きた場合はどうだろう。
(三位一体を表すとして3本指が正しいらしいが)

たぶん、指をさして笑うことはできない。
結局は脳の産物だーとかではなく、そのように個人的に大事な何か -「変態」- を持ち得るのだなと。

ひっそりと息を潜めて気付かれるのを待っている小さな「変態」の芽は、何と言うか大事なもののように思える。

スク水を着たキノコの夢を見たので、なんとなく書いてみた。
いや、僕はスク水好きじゃないけど!ね!