カットアップ技法で作られたコンテンツを見ると心が落ち着く
楽曲なり文章なり映像なりを作る手法に、カットアップという技法がある。
既存のものをバラバラにして再構築する、というやり方なのだけど、これによって作られたコンテンツを見ると心が落ち着く。
こういった技法の存在に気付いたのは、古くはRadioheadの「KID A」が始まりだった。
「KID A」は、トムが書いた文章を一度バラバラにして帽子に入れ、その中から取り出したものを歌詞として採用している。
厳密に言うとカットアップではないが、考え方は同じだ。
当時は「へー面白いなあ」くらいだったのだけど、SoundCloudやニコ動、Tumblrなんかを日常的に利用するなかで、そのインターネット的な手法に惹かれている自分に気付いた。
もう少し具体的な例を挙げると、例えば音楽で言うとトラックメイキングの技法としてよく使われている。こんな曲とか。
Clarisの「Click」という原曲から声だけを取り出して、細かくバラバラにして配置しているのが分かるはず。冒頭なんかは分かりやすい。
Remixの際によく使われる手法ではあるので、たぶん「あーあれね」と気づく人もいるのでは。
映像だとグッときたのはこれかなあ。
化物語の映像を取り出して、きゃりーの「にんじゃりばんばん」と組み合わせたやつ。MADなんかでよく用いられる技法ではある。
これが超上手いし、化物語の雰囲気ととても良く合う。よくこんな綺麗に処理できたなあ。
インターネット的よね
この「カットアップ」。これがすごくインターネット的で好きなのです。
Tumblrで記憶に残っている「カットアップ」的なコンテンツだと、これだな。
トラのバターで焼いたホットケーキについて
http://reretlet.tumblr.com/post/69487138136
一つひとつの画像や言葉の連続性に意味はないのかもしれないのだけど、それでもただ並んでいるだけで何か意味のあるものに見えてくる。少なくとも、僕にとっては訴え変えてくる何かがある。
インターネットは分断しているのです。
140文字とか一つの画像とかでコンテンツが成立する、かつ個々人が発信できる時代になって、その分断は加速している。
ブログ黎明期からこういったことはあったかもしれないけれど、ソーシャルメディアが普及してなんかもー決定的になったよね、こういう「切り取り」。
そういった「切り取り」に、「インターネットのイマ」みたいな要素を感じる。そんなわけで心が惹かれるのかもしれない。
上記のコンテンツには全てオリジナルがあるのだけど、ここまでくるともはやオリジナリティを帯びているのではと思う。
ネット上に様々なコンテンツが流布している昨今、組み合わせで成立するオリジナリティもあるはず。
個人的にはネットにないのは「これまでになかった新しい事実」か「解釈」くらいじゃねーかと思っている。前者は記者の仕事で、後者は脳みその仕事。
分断したインターネットの世界で、僕たちは組み合わせで物語を作ることができる。
そんなわけで、カットアップは最も素敵な手法だと思う。
だからP2Pの思想とかも心惹かれるのよね。
心が落ち着くコンテンツとしては、あとはグリッチとかゲームのバグ動画とかいろいろとあるのだけど、それはまた今度にする。