そばを食べて年末を思う
そばを食べるのに、多くの場合はさほど手間はかからない。IT化がいかに進もうとこれ以上変化しないであろう、その調理・食券システム。言葉はたったの二言で良い。「そばで」「ごちそうさまでした」。これだけである。
ぼくは駅前の広場で暫く何を食べようか考えて、それからカウンターしかない質素な「うどん・そば屋」に入った。駅前にあるそば屋の競合優位性は非常にシンプルだ。近い、安い、早い。味なんて知らない。そんなものは宇宙のどこかに漂うスペースデブリと一緒だ。味のことを気にしなければ、それは最高のディナーである。ディス・イズ・ディナー。
グレーににぶく光る「自動ドア」ボタンを押して店内に入ると、眉間に皺を寄せた親父がたった一人で、黙々とそばをゆでたりお冷を出したりしている。マルチタスカー。そば屋かくあるべし。
食券販売機の「天ぷらうどん・そば」のボタンを押して、入り口そばにある席に座る。親父が近づいてきたので、そばで、と声をかける。親父は軽く返事をして背中を向ける。
店内にラジオの声が響く。「きょう、ストックホルムではノーベル授賞式が行われる予定で、日本からは…」。左手に座るアジア系の親子は、聞き慣れない言葉で静かに会話を続けている。時々笑みをこぼす。何かいいことがあったのかもしれない。
12月だ。
気が付けば赤く色づいた木々は少しずつその葉を落とし、街を歩く人々の装いは冬のそれへと変化する。この時期になると「あー、今年は昨年と違う何かをできたのだろうか」と考える。
とりたてて何も変わってないなあ。
それでも何人かの友人は職を変え、結婚し、数年前には見られなかったしわを額に刻む。昔みたいな飲み方はできないねえと小さく笑い、違いねえと返す。Facebookの向こう側ではあたたかな家庭の姿。何も変わっていなくても、確実に年は重ねた。
カウンターの奥で親父が咳込み、丸くなった背中を震わせる。調理場の空調が音をごーごーと音を鳴らした。
静寂。
ぼくがお冷を飲み干してごちそうさまでした、と席を立つと、親父はこちらを見てニコッと笑い、ありがとうございましたと返事をする。会釈をして店の外に出ると、すっかり暗くなった空。帰って猫に餌をやんなきゃなあと思い、帰路につく。
身の回りの幾つかは変わったのかもしれないし、自分の中の何かは殆ど変わってないのかもしれない。そういうものなんだろう。
明日は月曜日かー。