@d_tettu blog

メディアとかウェブとかネコとかそこらへん。たまに日記。

「ルーティンワーク・ライフ」の良さ

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仕事柄、生活リズムはバラバラだ。朝は早ければ5時前に起床するし、夜は遅ければ終電になることもある。終電を気にするのが嫌で自転車を行動の起点にしていたこともあったりする。

それでも日々のスタイルは基本的に変わらない。毎日同じものを食べて、同じ服を着て、同じ場所に足を運ぶ。編集者であるからには色んな所に行ってみなきゃと思い、折を見てふらふら出歩いたりはするものの、生活スタイルは殆ど変わらない。

朝にはフレークを食べて、昼にチキン系と甘い系のパン、夜はささみの燻製かサラダチキン、もしくはキムチの玉子焼き。飲みに行く店は殆ど近所の焼き鳥「川名」。だいたいTシャツを着て、たまに「US AIRFORCE」と書かれた古着の短パンか、高校の体操服(短パン)で仕事する。帰りに買い物をするとしたら駅前の書店くらいだ。

休日は主に本を読んで過ごし、猫の相手をしながら写真を撮ったりする。この半年、意識的に「ルーティンワーク・ライフ」を送ってきた。

時々「服は数種類、行動パターンも変えない。余計なことを考えないで済む、思考がフォーカスされる」みたいな言説を見かけるが、これはあながち間違いじゃないなあと実感する。ひたすら本のこととかウェブのこととか、あとはどうしようもない妄想をしたりすることに脳みそをつかうことができる。

「ウェブで郷愁系の表現って成り立つのかなあ、成人向け漫画雑誌『COMIC LO』の表紙とかなんであんな切なくなるんだろう」

「新聞で連載したあとに書籍にして出すっていうやり方ってこれまでもあったけど、あれって紙面で読んで本当に面白かったのかなあ、まとめてパッケージングしないと微妙なんじゃね?」

「『イエスタデイをうたって』終わっちゃったけどそれはそれで悲しいよ…終わらないままの方が良かったのかもしれない…」

とかとか。

たぶん生産性はない。そもそも「生産性」なんて求めるのが間違っているんじゃないのか。「何かを生み出している」という感覚は錯覚なのかもしれない。切迫感にかられて休日に無理して行動したり、スキマ時間に勉強したりするのをやめよう。

余力を他のことに回さないっていうのはとても素敵なことだ。「フォーカスする」ことで何が変わったというわけではないけれども、費やしたいことに時間を費やせることの享楽は捨てがたいものがある。

何と言うか、生活スタイルの中にある種の「変数」みたいなものがあって、どの「変数」を動かすと自分が最も楽しめるのか、居心地の良さを感じるのかっていうのは、把握しておいた方が良いんだろう。

この変数には例えば「料理」が入ったり、「読書」が入ったり、「ライブ」が入ったりする。日々のリソースは限られている。可能な限りルーティンワークにしてしまって、自分の好きな変数をいじるのが素敵ライフをおくるコツなのかもしれない。

そこらへんの雑誌で言われるような「豊かな暮らし」は高コストで実現不可能性が高く、かつ変数が多すぎて再現性もなさそうなのでぼんやりとそんなことを思った。

今のところ本を読んだり考え事したりしているだけで十分に豊かでございます。