@d_tettu blog

メディアとかウェブとかネコとかそこらへん。たまに日記。

日本・世界地図を読み込むと意外と面白い


ふらっと立ち寄った書店で世界地図が置いてあった。それ自体は特に珍しいものでもないのだけど、何となく手にとって読んでみるとなぜか止まらなくなってしまった。地図を眺めるなんていつ以来だろうと、暫くその地名や道路を表す白線を眺めていた。


朝日新聞出版が販売しているそれは思ったより高額ではない。1400円+税。うん買いやすい。教科書なんてもうちょっと高かった気がする。

自宅に持ち帰って読んでいると色んなところに気付かされるなー。

城下町を活かして作られた市街地

札幌


札幌の街がどのように形成されているのか、歩いたことは何度かしかないが、とても綺麗に作られていることが分かる。

歪な曲線がそれほど多くなく、さっぽろ駅と大通公園を中心に、道路が主に直線だけで街を形作っている。

名古屋


こちら、名古屋も似たような作りだ。徳川家康が築城した名古屋城、その城下町は戦災で大半が失われてしまったようだが、その基板となる町割りは今でも残されていることがうかがえる。

戦災復興土地区画整理事業においては、名古屋城下町の特徴である碁盤割の町割りが踏襲され、現在の市街地に活かされている。
名古屋市の歴史的資産

京都


「碁盤割」でよく話に出てくる京都。地図を眺めるとそのカタチが「碁盤」というよりは、どこか短冊のように細長いものであることが分かる。
その背景には秀吉公の時代に行われた「天正の地割(じわり)」にあるという。へー。

天下を統一した秀吉は京都を発展させるため様々な事業に取り組んだ。一つが「天正の地割(じわり)」だ。京の街は8世紀の平安京以来、一辺120メートルの正方形を基本とし、街並みは通りに面して形成されていった。建物は通りに面している方が便利なので、通りに接していない中心部には空き地が増える。

 戦乱が終わった京では人口が増加傾向にあった。秀吉は空き地を住宅や商店に有効活用しようと、正方形を縦に分割する南北の道を敷いた。これが短冊形の街区が多い理由だ。
京都「碁盤の目」、多くは短冊形?(謎解きクルーズ) :日本経済新聞

広島


広島も同様に「碁盤割」の名残がみえる。街を流れる川がその街並みを多少なりとも歪めているが、広島城の築城を基板に都市づくりがされたため、当時の面影が「碁盤割」として残されているようだ。

原爆による未曾有の被害により街が壊滅したイメージが強すぎるため、他の都市と比べて江戸時代の痕跡が少ないと誤解されがちです。確かに建造物などの文化財は中心部には残されていませんが、街の区画や道路などについては、戦後大がかりな都市改造がそれほど多くなかったこともあり、逆に意外と昔の街の区画・道路などが残されています。
卓話時間 - 広島中央ロータリークラブ

東京はちょっと違う

一方、東京には「碁盤割」の面影をみることはない。


どちらかというと放射線状だ。有楽町~東側あたりに「碁盤割」を感じなくもないが、全体としてみるとそうでもないみたい。へーこんなふうに違うんだ、と思っていたら、どうやらその背景には関東大震災、空襲などによる破壊があったらしい。

関東大震災後の帝都復興事業が施行された中心部を除く大部分が、基盤整備が行われないまま広域に乱開発された。この東京大空襲直後、市域周辺部に円環状に生成された木造密集市街地を木密リングと呼ぶ。
architecture WORKSHOP | PROFILE

町割りにみる歴史もなかなか面白いものね。

海外都市も「碁盤割」か「放射線状」か分かれる

インド


インドのデリーなんかだと完全に放射線状になっている。中心にある「コンノート・プレイス」とやらは1929年に建設が開始された、経済、商業、ビジネス、ショッピングの中心的なエリアらしい。

というかむしろ幾何学模様か。街並みは分からんが、少なくとも町割りは素敵。

「コンノート」の由来は英領時代の名残、ヴィクトリア女王の三男であるコンノート公爵からきているようで、街作りの思想もそのあたりに起因するのかなあと邪推。

イギリス


ロンドンをみてみると、そこまでキレイな放射線状になっているかというとそうでもないが、ヴィクトリア女王が生まれたというケンジントン宮殿周辺は、少なくともキレイな町割りというわけでもない。

あまり攻めこまれたこともないからか、日本のように「ぶち壊されたからキレイに碁盤割にしようぜ」みたいなこともなかったのかもしれない(はるか昔、フランスなんかは海を渡れずに攻め込むことができなかった)。

どちらかというとアムステルダムの方がキレイな放射線状だ。ちょっとした美しさがある。

オランダ

アムステルダム駅、ダム広場を中心として整った区画割りがされている。というか教会が中心なのか?しかしキレイねえ。

また、同様にモスクワもなかなか良い感じに放射線状だ。かの有名な「赤の広場」あたりを中心に伸びた白線が、歴史を感じさせる。

ロシア

もともとはイヴァン3世が、居城の前の市街地を広場として整理させたことに由来するという。

このように見ていくと、欧州の町割りはどこか思想・権力集中のような構図を思い起こさせる。「教えてgoo!」の回答ではあるが、以下の様な捉え方がしっくりきたのだれどもどうなんだろう。

僕の記憶では、思想的・宗教的象徴を中心に配置して、そこから放射状に街路を配置することで、中心への帰属意識が高まると同時に集まりやすい。さらに同心円状に街路を配置することで、目線として行き止まりをつくり、こぢんまりとした小さい生活集合体意識を持たせる、確かこのようなものだったと記憶しています。
碁盤の町と放射の町 - 地理 | 教えて!goo

なるほどなあ。そういう考え方もあるのかもしれない。

逆に、新大陸であるアメリカは放射線状ではなく碁盤のような町割りになっている。

アメリカ



比較的歴史の浅い国では、どちらかというと実益を優先したように見える町割りがされたのかもしれない。

それだけじゃない世界地図

そんな都市部の町割りの話だけではなくて、だらだら世界地図を見ていても改めて気付かされる点もいっぱいある。
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アフリカ大陸のチャドという国には「ンジャメナ」なんていう地名がある…!

しりとりをした時に相手が「ん」で終わっても続けられる。

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南極大陸には漢字のあてがわれた地名もちらほら見受けられる。なんだろうこれ。永田山…。古地磁気学の先駆者である永田武さんの名をとってつけられたらしい

南極周辺にも同様に、日本名の島を見つけた。
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十月革命島。ロシアの十月革命に起源があるようで、実際にそうみたい。本来の名前はオクチャブリスカヤ・レヴォリューツィヤ島というらしい。長すぎたから日本名で表記しているのかな?

ウクライナなんて地名に傾向がありすぎる。

ドニプロペトロフスク、クレフンチュク、ドニプロジェルジンシュク、クラマトルスク、ドネツィク、ベルジャンスク、クヴャンスク…とりあえず「ク」が末尾につく。

「ク」じゃなくても「フ」がついたりする。なんでも「U」の響きで終わる地名が多すぎる。なんじゃこりゃ。

ただ眺めているだけでも

高校の地理の先生がなかなか珍しい人だった。地理が好きすぎてあらゆる地名や地形を記憶していた。休みを利用してその土地に足を運んで見て覚えるくらいのレベルだった。

僕は全くその面白さが分からず、「へー先生って変わってるね」なんて言っていた。地図を眺めてその面白さが理解できたとは言わないけれども、見方によっては十分に発見のある資料なのだということは、今更ながらに思う。

先生はつまらなさそうに地図を眺める僕に対して「それはお前が面白くないからだよ」なんてことを笑いながら話していたが、ようやくそのことがわかった気がする(僕は当時、先生キツいなあ、なんてヘラヘラと返事をしていた)。

多くのコンテンツは激しくつまらないし、同時にどうにでも面白くできるのかもしれない。読み手次第でそれは変化する。

こらそこ、Googleマップで良かったんじゃねとか言わない。