@d_tettu blog

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「文鎮」でさえなくなってしまったiPod Classic


高校生の時にどんなの聞いてたかなあと、昔使っていたSONYのオーディオプレイヤーを引っ張り出して聞いている。スガシカオは今聞き直しても新鮮な言葉の使い方をしている。

「中くらいの女」とか、女性を表現する言葉で聞いたことあるか?

最近はもう殆ど聞かなくなってしまったけれども、そうした言葉選びの一つひとつに独自の肌触りを感じるのはスガシカオくらいだ。そこには大江健三郎のような雰囲気を感じる。戦時下におかれた子どもたちが疫病に遭遇して、という「芽むしり仔撃ち」なる本があってだね…そんな話はまたの時にでも。

ところで、そんなSONYのプレイヤーとは対照的に、iPodは今も押入れの中で眠っている。もう持ち歩くことは皆無で、文鎮でさえない。

「1000曲をポケットに」とのふれこみで登場したそれは、今やその魅力を減衰し続け、ラインナップの片隅で静かに眠るばかりだ。果たしてどれくらい売れているのだろう。

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SONYのプレイヤーは骨董品ではあるけれども、今やそこにしか残されていないデータを掘り起こすための貴重な存在だ。高校生の時に先生からもらった、ビートルズをトラックに落とし込んだ一枚は思い出深い音源だ(DJ Danger MouseのThe Grey Albumという)。

ただの再生機ではあるが、それにはそれなりの価値が残されている。たとえ、ゴミみたいな楽曲管理ソフトのせいでデータを移行できなかったり管理に手間取ったりしたせいであっても。

僕にとってiPodが価値をなくしたのは、単純にiPhone 6(64GB)とiTunes Matchを使い始めたからだ。片っ端からiTunes Matchに楽曲を上げて、聞きたいものだけをiPhoneに入れておく。その場で聞きたくなったらDLすれば良い。何も問題ない。

そもそもそんな大量の楽曲をちゃんと聞いていたかというと、甚だ疑問だ。というか聞いていなかったと思う。聞くのは大方その時々に好んでいたアーティストの楽曲ばかりで、なんとなくレンタルしたものや興味本位で買ってみたものなどは、HDDが控え目に記録してそのまま静かに忘れ去られていった。

もう大容量HDDの時代じゃないよね。

iPod Classicは時代の終焉を迎え、クラウドとハイレゾにバトンを渡しつつある。数が必要ならクラウドへ、大容量が必要とされるのは高音質の場合だけ。今のiPod Classicは、ユーザーからすれば一体どんな存在なのだろう?

何も「1000曲をポケットに」が間違っていたわけではない、ただそう変わっただけだ。押し入れからiPodを出してみて、なんとなくそんなことを思った。押入れにただ横たわる幾つかの筐体は、時代の趨勢について考えさせてくれる。