「VAIO」に負けたVAIOスマホ
とても楽しみにしていたVAIOスマホが微妙なようで悲しい。小学校の時の夢はSONYのエンジニアになってPC作ることだったd_tettuでございます。
スペックそこそこで安くはない値段設定、デザインは「あれ、VAIOマークだけ…?」という端末で、ネットでも反響を呼んでいる。日経のスッパ抜きから期待値が高まり続け、それなりに長い時間をかけて発表まできただけに、がっかり感もひとしお。わずか半年で発表にこぎつけたとはいえ、地雷原でダンス踊るかのようなリリースだった。
今回の端末について、日本通信の福田氏は「ど真ん中を狙った」と話している。
マッピングはわかる。そこは同意したい。だが、今回の端末選択がこの真ん中にふさわしいか否か。 pic.twitter.com/to3thF0u32
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2015, 3月 12
分かる。よく分かるよ…。
「VAIO」に負けた端末
今回の端末について、日本通信は端末費だけでなく通信費も含めたトータルコストを見てほしいという。
5万1000円という価格は高額ではないか、という問いに福田氏は「トータルコストで見て欲しい」と述べ、月額利用料では割安とアピールする。
日本通信×VAIOから「VAIO Phone」、5万1000円で - ケータイ Watch
確かにトータルでみるとそこまで高くはないのかもしれないが、「VAIO」の冠がつく端末に期待していたのは何かというと、コレジャナイ感がふんわりと香る。スマホにそこまでお金をかけたくない、だけど格安スマホで妥協するのも嫌だ、だけどそれなりにブランドというか「良い端末」が欲しい、もちろんその気持ちは分からなくもないが…。
結局は、コミュニケーションに問題があったのかもしれない。
といいつつも、結局問題はビジネス戦略というよりもユーザーコミュニケーションというか初動のマーケティング戦術の問題だしなあ。福田さんのやろうとしていることに含みはなく。>VAIO Phone
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2015, 3月 12
VAIO Phoneが「うーん」という感じであるのは、別に似た機種があるからじゃなく、ロゴくらいしか変わっていない機種に対して「それはユーザーが期待したものじゃないんじゃない?」ってところに集約されるでしょう。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2015, 3月 12
だから、VAIOは「そんだけユーザーが名前に期待して注目する」ってことを大事にしないとけいないですよね。ずっとそれを続けるために。そういう名前は少ないわけで……
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2015, 3月 12
ひとつだけ可哀想なのでボクから強調しておくと、WBSで「VAIOのスマホ」を連呼してたのは間違い。というより記者にはあらかじめ「VAIOは作ってない。助言しただけで日本通信のスマホ」と直前まで伝えていたのに、局の担当が「VAIOのスマホと言わせてください」と折れなかったとか
— 本田雅一(本人未確認) (@rokuzouhonda) 2015, 3月 13
VAIOのスマホではないのに、VAIO Phoneのネーミングを許したのはVAIO自身の責任。でも他社の商標を使うならば、もうちょっとやりようがあるんじゃないかなと思いましたとさ。あまり書いていると、真相に近付いていくので以上。
— 本田雅一(本人未確認) (@rokuzouhonda) 2015, 3月 13
「VAIOスマホ」は「VAIO」であるが故にこうなったのだろう。
SONY、VAIOの思い出
「VAIO」はSONYから分離してしまったけれども、僕もその名前には憧れのようなものを抱いていた。PCといえばSONY、VAIOといえばその花型。自宅にあったPCは父親の仕事の都合上FUJITSUだったので、VAIO自体をいじれる環境にはなかったが。
それでも何かしらSONY製品を使いたいなあと思い、手の届く範囲でゲットしたのはMP3プレイヤー、NW-HD5という機種だった。
高校生だった僕はNW-HD5をいつでも持ち歩いていた。学校に通う際は必ずポケットに入れていたし、学校でも勉強中に聞いたりしていた。情報の先生はMac派でいつもSONYを小馬鹿にしていた。「iPodって知ってるか?wwwwお前のそれはSONYwwwww」と笑われたりもした。
その先生は生粋のマカーだったので、仕事で使用するPCもMacだった。あのカラフルでデカイ筐体は確かにスタイリッシュで素敵だったのだけれども、僕は心の中で(無根拠に)「VAIOの方がいい」と思っていた。ちなみにVAIOを愛用する理系の先生もいた。その先生は電波な感じである意味一目置かれていた。
とにかく、学生の頃の僕にとってSONY、VAIOという名前は特別な響きを持つものだった。高嶺の花。ヤマダ電機のPC売り場でVAIOをさわって「いいなー」と思いつつ、指をくわえて眺めるしかなかった。
それだけに、VAIOがSONYなら分離するというニュースには驚かされたし、今後どのような道を歩んで行くのかは気がかりだった。
そのVAIOが、これまで培ってきた製品イメージと異なるものを、かつ、納得感の低いカタチで発表した。ガッカリというよりは「悲しい」と言った方が的確なのかもしれない。
スマホ端末を製造するにあたって知見が足りないとか、期間が短かったとか、色々と考慮する要因はあったとは思うのだけれども、ファンが何を期待し何を求めたのか、もう少し良いコミュニケーションをとることができたんじゃないのか。
ウェブでもそうだけれども、サービスはヘビーユーザーの離脱から瓦解していく。
ブランドもそうだと思う。
たとえVAIOが「今回担ったのはデザイン+αだけ」だったとしても、その名前には、自然と期待してしまうものがあるはずだ。「日本通信スマホ featuring VAIO」ならまだ受け取られ方も違ったろう。
「VAIOスマホ」。なんかいいやつが出てくるんじゃねえのか、っていう期待感は持っちゃうんだよなあ。スマホ端末的に、いくらマイナーアップデートが主流の局面にあるとは言え。ああなんか切ない。
独立して、いろいろと厳しい局面があるのは重々想像ができるのですが、それでもイノベーター・アーリーアダプター層とブランドとの信頼関係を大切にして欲しかった。がっかりされるうちが花です。次の一手で真価が問われると思います。
ブランドとマーケティングの狭間で――VAIOスマホは何を間違えたのか? - a_matsumotoの日々徒然