「やってみた」の無敵感はちょっと危うい
僕は「やってみた」の全てを否定したいわけではないし、その気軽さや無邪気さから生まれるものはコンテンツの多様性を生んだりする。インターネットの良い所は「誰かのクソみたいな行いや発言が僕にとっての宝物」みたいな点だったりするので、たとえそれがゴミだったとしても、カスみたいな結果を生み出そうとも、その動機は大事にしたいと思う。
一方で、「やってみた」に内包されるある種の「エクスキューズ」のようなニュアンスは、場合によってはあまり好ましくないとも思う。誰かに突っ込まれたり批評されたりすることに対して「いやいや、軽くやってみただけだから」と逃れられることが、もしかしたらその深みを失わせてしまうこともあるかもしれない。
「やってみた」はある意味では無敵の姿勢だったりする。「やってみた」は「やってみた」なりに、ちゃんとやらなきゃダメなんじゃないかなあって思った。ちゃんちゃん。