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@d_tettu blog

メディアとかウェブとかネコとかそこらへん。たまに日記。

村上春樹さんに「成功と幸せ」について質問してみた

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サイトがオープンされたこともあり、ここ数日考えていたことを質問してみようと、つらつら書いてみた。なお猫は無関係のもよう。

今の若年層にとって「サイズダウン」がキーワードに挙げられるのではないか、という話。賃貸なんて小さくていいよね、ドでかいことよりも身近なリアルな貢献を快楽として生きていきたいよね、年収1000万円なんてハードル高すぎだしそれなりでいいから実感のこもった仕事がしたいよね...etc

草食系とはまた違ったレベルで。経済的・社会的成功よりも、個人の、身の丈にあった充実を求める傾向。とは言え、そんな「経済的・社会的成功」の幻影からはうまく抜け出せないような印象もある。

そこらへんの雑誌を開いても「成功」への欲求から脱したように見えるオーガニック系の人、企業などの経済活動から抜けてほそぼそと生きている人が、なんかドヤ顔してこっちを見ていたりする(移住してこんなお店を開いてみました、これが成功の秘訣です、今度ここで講義をします...etc)。

身の回りでもそういう印象がある。知人・友人レベルで「やっぱ身の丈にあった〜」というようなことを話をして共感が得られても、どうも行動指標として「経済的・社会的成功」がちらほら目に見える。

どうにも拭えない、ぼんやりとした違和感。なんだろうこれ。いやまあ「うまくやる」というものなんだろうけど。

なんだか綺麗に整理できないままに、せっかくだからと。これについてはまた暫くは考えてみたいと思うのだけれども、これを読んだ皆さんはどう思うのでしょうか。この本がヒントになりそう、私はこう思うなど、教えていただけたら嬉しいなあと。

ちなみに、「せっかくだから」とGoogle 日本語入力で打鍵すると、「せっかくだから俺はこの赤の扉を選ぶぜ」というサジェストが出てくる。お前は本当に賢い。

拝啓

村上春樹さん

はじめまして、d_tettuといいます。村上さんにちょっと聞いてみたいことがあり、ご質問させていただきました。

それは「成功と幸せ」についてです。

好景気にあった日本では「成功」が経済的、社会的(地位や肩書など他者からの承認など)な意味を多く含んでいたように思いますが、成熟期・停滞期に入った昨今では簡単にそう考えることが難しくなっているように思います。

そこかしこで話題になっている経済学者のピケティさんは、格差の固定(富むものは勝ち続ける、みたいな)について説明していましたが、若い人には体感として織り込み済みのような気がします。そんな現状は知っているから、もっとサイズダウンした、手のひらにおさまるくらいの幸せでいいんじゃないかなあ、とか。

とは言え、そのような成功に対する欲求から抜け出せず、どこか旧来的な「成功」の影を背負っているように感じられます。僕も含めて、若い人はその「成功」と「サイズダウンした自分なりの幸せ」の2つをうまくコントロールできていない印象があります。

個人的には前者の「成功」に関する欲求は大きくないはずなのですが、生きるためにはある程度「うまくやる」ことは必要に思っており、そこで多少なりとも板挟みになることがあります(下層にいくと家族が苦しい思いをするかも、好きなことができないかも、老後に困ることになるかも...etc)。

村上さんの作品に登場する「僕」は、上述したような板挟み状態からはかけ離れているように思います。少なくとも、前者の「成功」にはかけらも興味を抱いていないように見えますし、たぶんそうなんでしょう。

彼ら、あるいは村上さんにとって、「成功と幸せ」とはどのようなものであるのでしょうか?または、生きるためにその板挟み状態を「うまくやる」ということを、どのように考えているのでしょうか?

もしよろしければ、何かしらお聞かせいただけたら幸いです。

さらっとした答えが返ってきそう

昔から村上春樹さんの本も読んできたのだけれども、今回は結構軽めな返信になっているようだ。

どうなるかなあ。