@d_tettu blog

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ノームコアの作為とブランド化する「普通」

NYで「普通」がトレンドに

ニューヨークマガジンなどで「次のトレンドは『ノームコア』だ」といったような主張をしているようで、そこかしこで耳にするようになった。
これは「普通」を意味するノーマルと、「筋金入り、突き詰めた」などを意味するハードコアを組み合わせた造語だそうな。
スタイルとしては、いわゆる大量生産、ショッピングモールで買ったようなどこにでもあるような服装を表している、と。
Instagramの#normcoreで検索してみると色々と出てくるが、例えば白ソックスにサンダル、みたいなのが例として挙げられるらしい。普通かどうかは知らん。


Instagram photos for tag #normcore | Iconosquare
人と違うことがかっちょいーといった発想から、人と同じことをあえて選ぶといった同一性。「普通」であることをあえて選ぶ姿勢そのものがノームコアの肝であるらしい。

”何かに特化した能力を持つ「筋金入りの」「本格的な」人間”が選んだ(行きついた)ノーマルさ、というのが正しい訳ではないだろうか。
where on earth is my wonderwall? ノームコア Normcore (たまにはファッション的時事ネタ)

引用文にあるように、本義的なノームコアとは結果的に辿り着くものであって、スタイルから入るものではないということが読み取れる。
こうした「普通」であることを選ぶ姿勢の背景には、下記のような心理があるのかもしれない。

ノームコアを題材にした記事の多くは「ファッション疲れちゃったよね」というようなニュアンスを記事中に入れています。華美なファッションの反動だとか、ライフスタイル自体の変化だとかを中心に上げる人もいますが、PradaのサンダルからTopman*2まで、世間は楽にいこうよ、肩の力抜こうよ的なノリですよね、という。
ノームコア:7億分の1を自覚するためのファッショントレンド - につまるとblog

ブランド化する「普通」

現地で見たわけでもないので肌感ではないが、無印良品のようにブランドが無いこと自体がブランドとなる、といったメタ的な経緯を想起した。

無印良品はブランドではありません。無印良品は個性や流行を商品にはせず、商標の人気を価格に反映させません。
無印良品が目指しているのは「これがいい」ではなく「これでいい」という理性的な満足感をお客さまに持っていただくこと。つまり「が」ではなく「で」なのです。
無印良品[無印良品からのメッセージ]

上記にあるように、無印良品はブランドであることを放棄し、生活の「普遍」(非普通)であることを目指した。
その「で」の思想は妥協の「で」ではなく、高いレベルを維持した普遍的な「で」を求める。そしてその姿勢は受け入れられた。
ただこの「で」には、多少なりとも現代社会への批評性が含まれているように思われる。大量生産、大量消費への批評。
そういった高いレベルでの「普遍」とある種の批評性が、ノームコアを求める「肩の力抜こうよ」的な姿勢と合致したとかなんとか想像した。
そうして「肩の力抜こうよ」的な姿勢がトレンドとなり、気の抜けた姿勢カッコ良い☆彡みたいな人たちにとっての素敵なアイコンとして、ノームコアが浮上したのではなかろうか。

ジョブズをアイコンとするちょっとした違和感

ノームコアに対して、ざっくりと以上のような感想を抱いたのだけれども、こうした動きにジョブズを持ち出すことについては違和感が残る。
ジョブズタートルネックニューバランス、丸メガネといったどこにでもあるような普通のスタイルをノームコアとすること。
ジョブズのファッション観がどのようなものだったかは知らないが、アホみたいにこだわってプロダクトを作り上げる姿勢、イッセイミヤケ以外のタートルネック着ないとかいう変な執着みたいなものが、おそらくノームコアとして挙げられるのであって、単にニューバランスいいよね、みたいなお気軽な同一性を求める人々との間には大きな隔たりがあるはず。

ノームコア、それ自体がブランド化するメタい状況。