「青い花」と漫画表現における男女差(メモ)
青い花にグッとくる
「マリ見て」とは異なる百合を描いた漫画、青い花。
後者ではより性的な表現や、カムアウトへの抵抗感、「女性とお付き合いしているのにも関わらず、横恋慕していた男性が結婚すると聞いて、もしかしたら自己逃亡的に恋をしていたのかもしれない…」みたいな葛藤が描かれていたりする。
そういった心理描写が多く興味深く読んでいたのだけれども、引っかかるポイントもあった。
あれ、そんな「心の揺れ動き」どこで出てきた?(´・ω・`)?といった置いてけぼり感。
いやよく読めば表情やコマ割り、風景描写などで察することはできるのだけれども、記事やジャンプ漫画を読むみたいに「読む」やり方だとすっと入ってこなかった。
女性漫画によくあると思うのだけれど、「見る」ことを要求されるのかな、と。
女性の書く漫画に多いと思うのだけれど、非言語で表現する事象が多くて時折「あれ、この流れってどこから?」となることがある。
— やまぐち りょう (@d_tettu) 2014, 3月 15
微妙な心の機微など、表情やコマ割り、空白などから察知することはそこまで簡単ではない。漫画喫茶でバイトしていた時にちらほら少女漫画を読んでたけど、まだ慣れないなあ。これは日常的なコミュニケーションの在り方で読み方が異なるのかもしれない。
— やまぐち りょう (@d_tettu) 2014, 3月 15
彼女たちの作品においては、心象表現を具体的に言語化することが少ない、もしくは前述したように表情やしぐさなど非言語的に表現することがままあると考えている。その点において、個人的にソシュールの言語観を想起した。
— やまぐち りょう (@d_tettu) 2014, 3月 15
ソシュールの言語観と青い花
キリスト的な言語観では、やってきた白い物体に対して「お前は羊ね、これからそれでよろ。」みたいに、対象が先にありそれに対して名付けるといった方法を取るのだけれども、ソシュールは異なる言語構造を指摘した(って理解で大丈夫なはず)。
そこまで深く勉強したわけではないのだけれど、彼は「神が様々な事柄の名付け親」とする視点にメスを入れ、「言葉が観念を位置づけた」との立場をとったと聞く。
— やまぐち りょう (@d_tettu) 2014, 3月 15
言葉が生まれたことで、その対象が生まれると。例えば牡羊座は星の並びとその意味が最初にあったのではなく、「ありゃ羊に見えるな、よっしゃそう呼ぼ。名付け親は俺ねーへへへー」といったようなやり方の後に牡羊座が生まれた、みたいな。
「天秤座」という言葉と意味を知る人が、星の配列を見てその意図するイメージを思い浮かべることができるように。
一方、女流漫画家の皆さまはそのような言語活動とは別に、「なんて言えばいいのかわからないけどたぶん視覚的に表現するならこうだよね」的な事象をうまく表現しているように思える。
— やまぐち りょう (@d_tettu) 2014, 3月 15
ソシュール的な言語史観とは異なるやり方で、非言語的に「しぐさや表情からその意味合いを生む≒(観念を表現する)」ことにおいては、男女差は相当なものだなとおぼえろげに思った。
— やまぐち りょう (@d_tettu) 2014, 3月 15
やや乱暴だが、「これって言語的に説明するとなんか違和感あるしベストワードが思いつかないけど、たぶん画的にはこうだよね」といったような言語感覚を青い花に見た。
それは、おそらく男性漫画家の持ち得ない特徴なのではないかと思う。
似たようなことを南Q太を読んだ時にも思ったので、もう少し整理してちゃんと考察できれば。
とりま、メモまでに。ソシュール解釈間違ってたら指摘は優しくおねしゃす。