@d_tettu blog

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「青い花」と漫画表現における男女差(メモ)

青い花にグッとくる

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「マリ見て」とは異なる百合を描いた漫画、青い花
後者ではより性的な表現や、カムアウトへの抵抗感、「女性とお付き合いしているのにも関わらず、横恋慕していた男性が結婚すると聞いて、もしかしたら自己逃亡的に恋をしていたのかもしれない…」みたいな葛藤が描かれていたりする。
そういった心理描写が多く興味深く読んでいたのだけれども、引っかかるポイントもあった。
あれ、そんな「心の揺れ動き」どこで出てきた?(´・ω・`)?といった置いてけぼり感。
いやよく読めば表情やコマ割り、風景描写などで察することはできるのだけれども、記事やジャンプ漫画を読むみたいに「読む」やり方だとすっと入ってこなかった。
女性漫画によくあると思うのだけれど、「見る」ことを要求されるのかな、と。



ソシュールの言語観と青い花

キリスト的な言語観では、やってきた白い物体に対して「お前は羊ね、これからそれでよろ。」みたいに、対象が先にありそれに対して名付けるといった方法を取るのだけれども、ソシュールは異なる言語構造を指摘した(って理解で大丈夫なはず)。

言葉が生まれたことで、その対象が生まれると。例えば牡羊座は星の並びとその意味が最初にあったのではなく、「ありゃ羊に見えるな、よっしゃそう呼ぼ。名付け親は俺ねーへへへー」といったようなやり方の後に牡羊座が生まれた、みたいな。



やや乱暴だが、「これって言語的に説明するとなんか違和感あるしベストワードが思いつかないけど、たぶん画的にはこうだよね」といったような言語感覚を青い花に見た。
それは、おそらく男性漫画家の持ち得ない特徴なのではないかと思う。
似たようなことを南Q太を読んだ時にも思ったので、もう少し整理してちゃんと考察できれば。
とりま、メモまでに。ソシュール解釈間違ってたら指摘は優しくおねしゃす。