@d_tettu blog

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「よだかの星」と「夜鷹」と

ふと石橋英子さんの「夜鷹の星」を聞いて思い出した。

この歌は宮沢賢治の「よだかの星」をイメージしていると思うのだが、僕が思い出したのは江戸の初期あたりに出てきた娼婦の方の「夜鷹」だった。
彼女たちはもう底辺も底辺。暗い裏通りにゴザを敷いて一晩24文(100文くらいでしょという説あり)でお仕事をしていという。
顔を見られたくないという意図もあり、夜の暗い通りで活動をしていたことから「夜鷹」とつけられたとの話も。

少なくともないすばでーなおねーちゃん方ではなかった。大半はご年配の方や病気持ちだったらしい。それなりの娼婦として生活していたものの抜け出せなかった人や、何かしらの事情でその世界に入らざるを得なかった人や。
彼女たちを詠んだ句に、「安物のはなうしないは吉田町」というものがある。「はな」は華と鼻を指すよね、うん、分かりやすい。当時は梅毒にかかると鼻が落ちるという認識があったそうで、こういう句が詠まれたとか。
梅毒にかかって鼻を落とすぞ、という意と、安物に堕ちていく女性たちの意と。

 夜鷹には悪性の梅毒持ちが多いため、うっかり夜鷹を買うと感染して鼻が落ちるという意味(梅毒が進行すると鼻が落ちるといわれた)。しかし、本所吉田町の路上に夜鷹がずらりと並んでいたわけではない。吉田町の裏長屋に多数住んでいたのだ。いわば夜鷹の巣だった。日が落ちると、商売道具のゴザを抱えて吉田町から江戸のあちこちに向かったのである。
http://homepage3.nifty.com/motokiyama/nagai2/nagai2-20.html

時に、宮沢賢治の話は「よだかは、実にみにくい鳥です」という書き出しで始まる。物語はご存知の通り、誰からも疎まれる存在として生を受け、最期には星を目指して飛び続けて自身も星になる(燃える)、という話。

石橋英子の「夜鷹の星」を聞くと、「夜鷹ってどんな存在なのかなー」と何とももやっとした感覚が去来する。
ふとした時に、現代の「夜鷹」の存在を感じる。新宿2丁目を明け方に自転車で駆け抜ける時や、裏路地で寝転がるご老体を見かける時や、帰省した際に地元の駅前であてどなく彷徨う薄着の女性を見かける時に。
長屋の裏通りみたいに目立たないところでぼんやりと座る「夜鷹」の影を。

 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐(りん)の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
 今でもまだ燃えています。
よだかの星 宮沢賢治