可愛い栞に読書熱が再燃、ふと思う情報の「可アクセス性」
最近、読者熱が再燃しているのだけれども、その一要因として栞がある。
駅近くにある書店が毎回可愛らしい栞をつけてくれて、なんだかそれが素敵。
以前は「Kindle!Kindle!」と電子版ばかりに目をつけていたのだけれども、紙に回帰しつつある。
本のような情報というか、知識のようなものはある種の公的なものだとも考えている。
それ故に「可アクセス性」みたいな要素は非常に重要だなあと。紙にふれて感じる。
デジタルは資本的余裕とバッテリーがないとアクセスできないしなあ。
例として震災時の壁新聞を想起。有事の際や不測の事態にどのような媒介となり得るか、デジタルでは限界もある。
そう言った意味では、ラジオもそのような要素を含むのかもしれない。
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いい色の栞。
かわいい。