@d_tettu blog

メディアとかウェブとかネコとかそこらへん。たまに日記。

Reblogの行き着く先とマルクスと

Reblogにグッとくる

おなじみの任天堂ファンサイトで、あるページについてふれられていた。
これが、超いい。
トラのバターで焼いたホットケーキについて - no reblog, no like.
同サイトでは、このように述べられていた。

retletは常にreblogし、ネット接続環境がなくなると「呼吸ができない」と訴えかける。
retletにとってreblogは生きることと同価なのだ。
retletはインターネットに溶け込み、もはや分離できなくなっている。
私が見ていたのはretletが生み出したreblogだったのだろうか、それともreblogの先に存在するretletの姿だったのだろうか。
http://n-styles.com/main/archives/2013/12/12-004444.php

「mix」に表れる人




おそらくマルクスの言う「労働と人間観の関係性」のことを思い出したのだろうと気付く。ざっくり言うと下記のような感じ。

人間は行動を通じて何かを作り出し、その創作物が、その作り手自身が何ものであるかを規定し返す。生産関係の中で「作り出したもの」を媒介にして、人間はおのれの本質を見てとる、というのがマルクスの人間観です。
内田樹「寝ながら学べる構造主義」より

おそらく、僕はretletさんのページを見ているうちに、自然とこのことを思い出し、ホッとしたのだろう。
自身の生み出すものが既成品の寄せ集めで、つまるところ「mix」でしかなくとも、それは紛うことなく自分自身であるし、その文脈の編み方と産物によって自己を確認するのだなあと。


コピーの塊だったとしても、それはそれなりに代替不可能性というか、「いてもいいんだよ」と。
モジュール化した経験と知識を蓄え、大したことを生み出せずにいたとしても、その過程で生まれた、ともすればゴミみたいな排出物によって救われることもあるんだなあ。

いやー久しぶりにグッときた。ウェブを見た。