小平市の住民投票とオリコンの呪縛
小平市の住民投票は開票されないとか
フィルタリングの在り方を考えさせられたなあ、これ。
この話、元々は1963年に都市計画決定された都道-府中所沢線の整備についてのお話。50年ほど前の計画が持ち上がり、区域内に雑木林があることから「どうなん?」と話題に。
ざっくり概要は以下。
まあ「道路整備に反対!」という投票ではなく、そもそもこれを見直すべきか否か、という点を問う投票。結果は投票率35.17%で不成立、開票されないこととなった。
そもそも条例の改正で開票は「50%を超えてからよん」となった訳だが、その理由を市長はこう話す。
小林市長は50%の根拠を「投票の信頼性、実効性を担保するため、ある程度、投票率が高くないと市民の総意、市を代表した意見として取り扱うのはどうなのか、と考えた」と説明。
まあ分からないでもない。どこまでも意見を吸い上げていると運用に支障が出るし、高コストが過ぎる。行政は「コスト」とちょっと遠いとはいえ、どこまでも青天井というわけでもない。
しかしながら「なんだかなあ」という気もする。法的な拘束力はなかったが、住民の半分が投票しないと開票さえ認められない、って。
もしこれが反映を義務づける「拘束型」であればハードルはあってしかるべきだが、うーん。
オリコンの呪縛
馴染み深いフィルタリングの在り方に、オリコンのランキングがある。
一部で「ゴミカス」と罵詈雑言の飛び交う悲痛な機能だが、あれはあれで一定の役割を果たしている。どのような音楽が良いとされるかはまあ個人で判断よろしくだが、少なくとも「今これが売れてる」は分かるし、ちゃんと機能していた時期もあったはず。
オリコンならずとも「○○で人気」というフィルタリングの在り方は偏在している。
「俺の中で今聞いてる曲」というものもあれば、「工業高校で童貞をこじらせ社会に出た中年男性が風俗に行く前に聞いて涙を流す曲」なんてランキングもあるかもしれない(超聞いてみたい)。
ともあれ、そのようなフィルタリングの在り方としてオリコンは最もポピュラーだし、あれはあれで「総意」なのかもしれない。
小平市の住民投票は、オリコン方式のフィルタリングを想起させる。
週に数千枚を売らなければランクインして「これが人気」と反映されないように、今回の投票も50%を超える投票率がなければ、「総意」として見られない。
数を集めなければ、はじかれてしまう。
「ランク外」をどう拾う
数を集められなかった少数の意見をどう拾うのか、それは本当に数によるフィルタリングをかけて良いのか。「○○で人気」というフィルタリングではない、他のフィルタリングの在り方を、どう構築すれば良いのか。
浅学にしてまあそういう問題に、どこぞの上手いやり方とか考え方をキャッチしたわけではないが、ちょっと考えさせられた。小平市の問題は、小平市にだけあるわけではない。
今回の住民投票に奔走した哲学者の國分功一郎さんは、こう話す。
僕らは民主主義の社会に住んでいるなんて言われているけれど、実際に許されているのは数年に一度議会に代議士を送り込むことだけ。
今回の投票をめぐっては自治外の説明姿勢が全然あかんとか、条例改正も住民投票が決まってから行ったよね、とかまあ色々とあるようですが、考えさせられますね。
「工業高校で童貞をこじらせ社会に出た中年男性が風俗に行く前に聞いて涙を流す曲』早いとここのランキング誰か出してくれ。
あとオリコンに悪意はないですごめんなさい。