@d_tettu blog

メディアとかウェブとかネコとかそこらへん。たまに日記。

【恵比寿・えびす堂】やっぱり人間は肉ととうもろこしを食べるべきと知る

ヤマザキマリが描く「スティーブ・ジョブズ」を読んでいると、肉なんて食べずに菜食主義者になった方が、なんだか見えてくるものが違うんじゃないかなあと思えてくる。

「母さん…僕が菜食主義で、月明かりで処女が摘んだ葉物しか食べないの知っているだろう…?」と、ジョブズがガレージにやって来た母親に向かって言う。

うん、これは突き抜けてる。普通じゃない。

そのようにして菜食主義に憧れを持ちつつも、先日足を運んだ恵比寿にある「えびす堂」。肉が美味い。やっぱり菜食主義なんて不可能かもしれないと現実を教えてくれるお店だった。

「新聞で肉汁が跳ねるのを防いでねー」

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鶏肉の溶岩焼きなるこちらの一品。ある程度ご飯を食べたあとでも、この音を聞いたからには手を付けざるをえない。箸を伸ばして口に運ぶ。

う、美味い。

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それだけではなく、すじ肉とじゃがいもも半端ない。とろっとろに煮込んだすじ肉が舌先でとろける。じゃがいもはやわらかく、下に残りがちな「くどさ」をほんの少しだけ中和してくれる。

やっぱり肉は美味い。腹部の肉もどうにかならんかなー。

もちろん肉以外も美味い

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コーンビーフを混ぜ混んだポテトサラダに、刺し身の盛り合わせやレバーパテなども食す。珍しいのはとうもろこしの揚げ物。

揚げてあるとはいえ油にまみれているかというとそうでもなく、とうもろこしの質感と絡み合って程よい甘みだ。肉を食べてまだ物足りない、だけどそこまで重たいのはいらないかなあなんて時にぴったりだ。

とうもろこしなんて、お祭りくらいでしか食べる機会がないのだけど、ここでならたんまりと食べられる。とうもろこし畑を走り回りたい。

恵比寿駅から徒歩5分

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ふらっと1人で寄る、なんていうお店ではないけれども、仕事終わりに何人かで立ち寄るなら丁度良いかもしれない。

今度はどこに行くかなー。

【2010年】あの出版社は、新卒・採用活動でどんなことを話していたか


何となく昔の日記を引っ張りだしてだらだらと読んでいた。その多くは目も当てられない中学生ぽい文章で、ところどころ「うわああああああああ」となってしまうものだったけれども、興味深い点も幾つかあった。特に就職活動中のメモはなかなか面白い。なるほどーこの会社の人はこんなことを話していたのかー。

というわけで、ここでは2010年のメディア系の企業、出版社にしぼって気になった箇所を抽出してみた。なお、紛失したメモもあるので、もちろんここにはない企業もある。

ちなみに2010年はkindleが米国外でも発売と発表され、「電子書籍元年」の様相を呈していた(あくまでも様相だったけど)。

ところで、会社説明会の書き起こしって全然ないのね。あったら便利なのに。禁止されてそうだけど。

文藝春秋社

中の人からするとどんな会社なの?
  • 学生からすると若者向けの雑誌がないかも。おっさん向けの会社。社会のおっさん。
  • 85年続いた会社、特徴がある。軸は変わらないくて良い。
  • 文藝春秋の「社長日記」を読めばイメージが若干分かる。自由な活気ある雰囲気、変化はさほどない。
電子化についてどう考えているの?
  • ウェブ事業部があり、そこでHPやコンテンツを作り運営している。ウェブでも毎日接点を持つことはできるはず、「笑っていいとも」はタモリさんがいて毎日継続的に見られるようになった。
  • 電子書籍に関して言うと、やはり編集者の役割が生きるのではないか。作家とのつながりは強く、編集者からの発信も多い。持ちつ持たれつつ。
どんな人と働きたい?
  • 入社して好きなことをやれることはない、いい意味でつぶしのきく人間が良い。
  • 社員は350人くらいいて、全員が色んなタイプ。足りないところを伸ばすより、良いところを伸ばすと良い。
  • わからないことをちゃんと聞く人と働きたい、礼儀大事。

小学館

編集の人に話を聞く
  • 他紙の特集内容は出回らないのだけど、サライはキャラがあるのでバレる。「次あたりあれっすよね、時期的に?」みたいな。まあそれはそれで信頼されている。
  • 「ミーハー」って超大事。「おれこれ好きなんです!」だけじゃなくてみんなの興味あることに興味持つこと大事。
  • (ファッション系の編集では)トレンドは展示会に行って把握する、そこで情報収集して判断する。
  • 志望動機は明確にしよう、やりたい企画、目標を作ろう。
  • モニター会が重要、読者を呼んで話を聞いてフィードバックをもらう。
  • 新聞は毎日読め。雑誌は一覧性のメディア。

講談社

写真部って何してるの?
  • 写真は「代理体験」である。
  • 編集者、ないし企画者の意思を汲み取るの大事、コミュ力が欠かせない。
  • プロとアマの差は「アベレージが高いかどうか、最低限のクオリティが担保されているかどうか」。
  • 編集者の要求に応えてこそ。でも初心者でもOK。
なんで女性誌に男性編集者がいるの?
  • 視点の唯一性がある、そこが女性との差。
  • とは言え男性なので、ニーズを把握するのに周囲の人に話を聞くの大事、ふとした時に生の声を聞く。
  • 行動力大事、編集者は面白がってこそ。

小学館集英社プロダクション

出版不況だけど…
  • 電子書籍リーダーの隆盛で、今後は書店の意味が変化する。「足を運んでもらうことに価値のある書店へ」。
  • キャラクターなどライセンスの重要性が増すはず、そこはAmazonにはできない。
  • おそらくkindleはリーダー+映像視聴機器としても利用される。携帯よりも大きいので、映像を見たいというのは消費者の心理のはず。
  • かつての携帯の流れと同じで、そうなると、制作、ライセンスを握っている会社が強い。
  • 弊社は映像制作、ライセンスを用いたキャラクターなどの2次商品も手がけているので、そこに強み、魅力を感じる。

某出版系企業の先輩と飲んだ時のメモ

  • 「いやーちゃんとした仕事に就いたほうがいいと思うけどねえ」
  • 出版は上がつっかえていて、社会不適合者が多い。ただ、入ればなんとかなる。やりたい仕事は頑張ったらやれる。
  • 金が好きなやつは仕事もできる。
  • 出版系が生き残るには細分化して特化するのが良い、小さいニュースサイト、1次ソースをちゃんととってきてこれるところ。笑いとかサブカルとか。
  • 雑誌は嗜好品になっていく。

というわけでつらつらと書いてみたけれども、今思い返してみると上記に加えて「これからどうなる」という業界展望については、だいたいが「苦しくはなるだろうけれども、なんとかできるはず、仕事はキツイけど面白いよ」と話していたと記憶している。

どこも言うことはそれほど変わらないし、ライセンスを握っているところもそれは同じだ(新潮社は逆にライセンスがイマイチらしくて嘆いていた記憶がある)。

ウェブについての話は殆どなかったし、説明会出席者からの質問もなかった。たぶん興味なかったんだろう。ウェブやりたくて出版社の説明会に来るか?いたとしたらそいつは相当な変わり者だ。雇ったほうが良い。

まあ、気まぐれでただ書き起こしてみただけだ。

僕は偶然にしてなんとなくウェブの編集者になったけれども、当時あの会場にいた人たちはそれぞれどのような道を選んだのだろう。くっきりとした輪郭で思い出すのは、横に座っていた女の子が凛とした目で「文藝春秋に携わりたい」と話していたことだ。彼女は文藝春秋の編集部で今日も遅くまで仕事をしているのだろうか。

僕はそこまで強い希望がなかったので入社試験は受けなかった。もうきっと交差することはないんだろうけど、思い出してなんだか懐かしい気持ちになる。

【Wi-Fiあり】秋葉原で疲れた時に美味しいコーヒーを飲むなら「VAULT COFFEE」

Wi-Fiも使えてコーヒーも美味しくて、それでいて手頃なカフェといえばここ。歩き疲れたり、ちょっとした作業をしたいなと思った時にふらっと立ち寄る。

駅からちょっと離れていて、かつ3Fにあるのでそこまで混んでいないのが嬉しい。土日でもだいたい入れる。かつコーヒーは450円から。世界各地のコーヒーも飲めるので飽きない。

貸し切りもできるらしいので、なんかイベントとかやってみても良いのかもしれない。やってるとこ聞いたことないので、使い勝手などはわからないけれども。

店員さんも男性2人で黙々と作業しているのが好感的。無愛想というわけではない。

どうやって行くのん

秋葉原駅の電気街口を出て、駅を背にして大通りを右手に歩く。

ドンキの前を通ってTSUKUMOを過ぎ…。

リバティが見えたらお店はすぐそこ。路地に入ると看板が見える。

それにしても秋葉原はふらふらと歩くだけで色んなアイテムが見つかるので楽しい。くっそ怪しいのもそれはそれで。

大学が近かったのでよく通ったなあと思い出す。真空管を買いに専門店へ足を運んだ際に、頭部を黒マジックで塗りつぶしたおじちゃんに出会った時は本当にびっくりした。遠くから見たら普通に坊主だと思っていたのに、近づいたら「あれっ?」。

秋葉原は世界の広さを実感させてくれる。いい街だ。

「ルーティンワーク・ライフ」の良さ

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仕事柄、生活リズムはバラバラだ。朝は早ければ5時前に起床するし、夜は遅ければ終電になることもある。終電を気にするのが嫌で自転車を行動の起点にしていたこともあったりする。

それでも日々のスタイルは基本的に変わらない。毎日同じものを食べて、同じ服を着て、同じ場所に足を運ぶ。編集者であるからには色んな所に行ってみなきゃと思い、折を見てふらふら出歩いたりはするものの、生活スタイルは殆ど変わらない。

朝にはフレークを食べて、昼にチキン系と甘い系のパン、夜はささみの燻製かサラダチキン、もしくはキムチの玉子焼き。飲みに行く店は殆ど近所の焼き鳥「川名」。だいたいTシャツを着て、たまに「US AIRFORCE」と書かれた古着の短パンか、高校の体操服(短パン)で仕事する。帰りに買い物をするとしたら駅前の書店くらいだ。

休日は主に本を読んで過ごし、猫の相手をしながら写真を撮ったりする。この半年、意識的に「ルーティンワーク・ライフ」を送ってきた。

時々「服は数種類、行動パターンも変えない。余計なことを考えないで済む、思考がフォーカスされる」みたいな言説を見かけるが、これはあながち間違いじゃないなあと実感する。ひたすら本のこととかウェブのこととか、あとはどうしようもない妄想をしたりすることに脳みそをつかうことができる。

「ウェブで郷愁系の表現って成り立つのかなあ、成人向け漫画雑誌『COMIC LO』の表紙とかなんであんな切なくなるんだろう」

「新聞で連載したあとに書籍にして出すっていうやり方ってこれまでもあったけど、あれって紙面で読んで本当に面白かったのかなあ、まとめてパッケージングしないと微妙なんじゃね?」

「『イエスタデイをうたって』終わっちゃったけどそれはそれで悲しいよ…終わらないままの方が良かったのかもしれない…」

とかとか。

たぶん生産性はない。そもそも「生産性」なんて求めるのが間違っているんじゃないのか。「何かを生み出している」という感覚は錯覚なのかもしれない。切迫感にかられて休日に無理して行動したり、スキマ時間に勉強したりするのをやめよう。

余力を他のことに回さないっていうのはとても素敵なことだ。「フォーカスする」ことで何が変わったというわけではないけれども、費やしたいことに時間を費やせることの享楽は捨てがたいものがある。

何と言うか、生活スタイルの中にある種の「変数」みたいなものがあって、どの「変数」を動かすと自分が最も楽しめるのか、居心地の良さを感じるのかっていうのは、把握しておいた方が良いんだろう。

この変数には例えば「料理」が入ったり、「読書」が入ったり、「ライブ」が入ったりする。日々のリソースは限られている。可能な限りルーティンワークにしてしまって、自分の好きな変数をいじるのが素敵ライフをおくるコツなのかもしれない。

そこらへんの雑誌で言われるような「豊かな暮らし」は高コストで実現不可能性が高く、かつ変数が多すぎて再現性もなさそうなのでぼんやりとそんなことを思った。

今のところ本を読んだり考え事したりしているだけで十分に豊かでございます。

ニュース眺めてたらミロ飲みたくなったので作った。これ美味え。

タイムラインを眺めていたら飛び込んできた一つのニュース。

小さい時はよく飲んだなあと思い出しながら読んだ。くっそ冷えた牛乳と混ぜてガブガブ飲んだ。美味かったなあ。

なんてことを考えながら帰路につき、気付いたら近所のSEIYUに寄ってミロを手に取っていた。

懐かしの緑のパッケージ

これを大さじ二杯、マグカップに投入する。

そこに牛乳を混ぜ合わせて…

混ぜ合わせて…

完成

作って写真を撮ったりしただけである程度お腹はふくれた。もしかしたらダイエットにもなるかもしれない。どことなくプロテインにも似ているし。

ごくっごくっ…(飲む音)

ことん…(コップを置く音)

ん゛まぁい!

ん゛まぁいよ!

ん゛まぁぁぁぁいいぃ!!

いや普通に美味かった。久しぶりに飲むと思い出補正もかかる。

やっぱヤフトピの影響力はんぱねーなー。ハッピーだわー。

このエントリーから得られる教訓は、「同じ画像に集中線をかけて2回掲載すると、オモコロ感が出る」ということです。

暇じゃないよ。

Apple、ニュースアプリ発表の衝撃。サードパーティは死ぬのか。 #wwdc #apple

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【プラ版工作】ウェブサービスを身に着けたい

インターネットが好きだ。

インターネットになりたい。だけど、それは難しい。デジタル空間に足跡や擬似的な自我を残すことは可能かもしれないが、僕自身がインターネットで生きることは極めて難しい。

では、インターネットが僕に近づくのは可能だろうか?分からない。だけど、やってみる価値はありそうだ。

ということでプラ版でアクセサリーを作ってみよう。そうすればデジタルからリアルに何かが近づくかもしれない。

人間に最も近しい存在はTシャツかアクセサリーだ。Tシャツは僕らの皮膚になろうとしているし、アクセサリーは僕らのパーツになろうとしている。

ウェブサービスをアクセにする

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用意するのはプラ版とアクセサリーを作るパーツ、ポスカ。アクセ用品は貴和製作所で買った。ちなみに、貴和製作所の店内に男性は僕しかいなかった。

群衆の中でも孤独というものはあるんだな、と、僕はその時初めて気づいた。つながりなんてものは日常的には希薄な事象なのかもしれない。

さて、まずはTwitterの「あの鳥」を書いてみることにしよう。

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下書きをして…。

続きを読む

多摩川浅間神社のお祭りにふらっと立ち寄る

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多摩川浅間神社の宵宮祭に行ってきた。宝石みたいなりんご飴。

そこまで大きなものでもない、こじんまりとしたお祭りだったのだけど、それくらいのサイズ感がちょうどよい。

Olympus Airを手に入れてから写真を撮るのが楽しくなってきた。これまでの「iPhoneでいいや」から大きな転換だ。

「でもまあそのうちiPhoneで一眼レフ並の写真撮れるようになりそうだけどね」と友人。いやまあそうかもしれない。それまではOlympus Airでキャッキャウフフしていよう。

猫がご飯に見えるのはどんな時か

我が家の猫は食いしん坊だ。朝が来てはにゃーにゃー鳴いて主人を起こしてご飯をねだり、日が落ちては部屋をバタバタと走り回りご飯をねだる。キッチンに立つと「お、ご飯かな?」と駆け寄ってきて物欲しそうな目でこちらを見る。

その眼差しに負けて煮干しをあげることもある。

ご飯を食べたあとはすぐに横になる。家猫だからか基本的に寝てばかりいて、その姿がなんだかお団子みたいに見える時がある。おかしいな、ご飯をねだられているばかりで、こちらも食欲がわいてくる。

いつもお団子に見えるわけではないが、あるカタチをとった時にだけ、なんだかそう見えてくる。それってどんなタイミングだろう?

そんなわけで使ってみたいのがこちら、画像認識技術を使ったご飯画像判定サービス「画像解析できるマン」。画像をアップロードすれば、それがご飯かどうかを判別してくれるというものだ。

例えばブタ型のスイーツをアップロードしてみると…。

「ごはんだな!」。よくわかってるじゃないか。

これを猫で試してみる。

正面からだとダメぽい

普通のアングルである。これはご飯に見えない。

ぐだーっとしているこれもダメ。うーん茶色かったらウインナーみたいに見えたのだろうか。

丸くなってるところで試す

過去の経験から言うと、丸くなっているところを後ろから捉えた一枚はご飯に見えやすい傾向にある気がする。丸みが食欲をそそるのだ。

さっそく後ろから撮影した写真を探してみた。

うーんダメか。まあ色合い的に食欲がわかないしなあ。焦げてる。

ちょっと明るいところで撮影してみると…。

「ごはんだな!」。これだ。黒さを帯びながらも丸みに包まれ、ぷにぷにとしてそうな肉感。ゴクゴクと水を飲んでいるその姿を見るだけで、こちらの食欲も倍増だ。誰か焼き肉にいこう。

こちらもご飯と判別された。「ごはんだな!」。正直言うと、いやちげーし、と内心は思うのだけれども、肉厚な団子感はほとばしる。いつかあの著名な絵本「ちびくろサンボ」に登場するトラたちのように、走り回って団子になってしまう日は来るのだろうか。

虎たちのケンカはまったく収まりません。相手を食べてしまおうと、あいかわらずお互いのしっぽをかんだまま、木の回りをぐるぐると回るばかり。
虎の輪はだんだんとスピードをあげていきました。輪の速さはぐんぐんと上がっていき、いまや、どれが足でどれが頭かさえ分からないほどです。
それでも虎たちは早く早く走り続け、そのままとうとう溶けてしまいました。
椰子の木の回りに、溶けた虎のバターができたのです!
ちびくろサンボ(ちびくろさんぼ)

改めて読み返してみるとサイケ感が半端ない一冊でなんとも胸が熱くなる。トラが走り回るとバターになるらしい。なんだそれ。だがそれがいい。

ちなみにこれもご飯らしい

SmartNewsの公式キャラ地球くん。地球に対して「ごはんだな!」。それはあれか、ブラックジョークの一種なのか。

結論:猫といると食欲がわいて太る

“猫"

暇なの?


“d_tettu"

うるさい。

「しおり」が欲しいために近所の書店に足を運ぶのです

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文庫に時々ついている「しおり」。出版業界ではスピンと呼ぶらしいあれ、今では新潮文庫しかつけていないという。

「しおり」をつけるために1冊あたり10円ほどの費用がかかるそうだが、新潮社はあくまでもそこにこだわる。

安価で軽装な文庫本といえども書籍であり、これを蔵書として扱う読者にこたえたい。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 新潮文庫のささやかな秘密。

キュン

個人的にもすきま時間に少しずつ読み進めるスタイルのため、しおりの存在はとてもありがたい。しかし、前述したようにどの書籍にもしおりが付けられているわけではない。新潮文庫だけだ。

つまり新潮文庫以外の本を読む際は、何か適当な紙とかチラシの切れ端みたいなのを本に挟んだりするわけだが、これがまったくもってイマイチ。風情がない。

「帰りの電車内であれ、もうちょっと読み進めようかな…」なんて楽しみに開いた文庫のページが、「セブンイレブン○○店がOPEN! 開店記念にアイスが○○%オフ!」みたいな文字で占められていたらどんな気分だろう。

友だちがいなくても1人でバーに行けちゃうスタイリッシュ&センス・オブ・ワンダーな村上春樹だって、一気に生活感で溢れてしまう。

「セブンイレブン」とためしに僕は言った。「アイスクリームがOPEN記念で安くなるらしいんだ」。
言うべきではなかったのだ。チラシが氷河のように冷たくなった。

ないな、これは。

僕らは本というある種の「ウソ」を読みたいのだ。セブンイレブンにそんな機能はない。現実はどっか行ってくれ。ラッシャイマセーオマチノカタハコチラヘー…

そんなわけで、本を買う際は近所の書店に足を運ぶようにしている。その書店のおまけ、しおりが楽しみだからだ。

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既成品なのか手作りなのかは知らない。ただどことなく可愛らしさがあるし、肌触りの良さがある。少なくともセブンイレブンではない。

「あってもなくてもいいけど、あれば嬉しい」程度の存在なのだけれども、なんとなくこれが欲しくてその書店に通っている。どうせどこで買っても同じなら、少しでも好感の持てるところで買いたい。

猫もなんか興味あるみたいだし。

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出版不況が叫ばれて暫くが経つが、将来像はおぼろげなままだ。書店だって明るい未来があるわけじゃない。売り上げはどんどん減っていくし、地域の書店はがんがん閉店している。

ここまで書いておいて、僕はできるだけ紙の情報は電子化したいと思っているし、買った本で「もう読む機会はないかもな」というものは裁断してクラウド行きだ。

だけど、なんとなくふらっと書店で買うとしたら、何と言うか「しおり」みたいな存在がきっかけになるんだろうなあ。

別にそれはしおりでなくても、リアルイベントにおける交流だったり、手書きのPOPでもなんでもいい。「体験」であればいい。「体験」を提供するということはとても難しいことだけれども、なんというか「しおり」的な存在を提供しないと厳しいんじゃないのか。

インターネットの世界でも「なんか居心地がいい」とか、「ここは自分の場所だ」みたいな、アナログな感覚がサービスないしメディアを左右するところがある。このあたりはC Channel・森川さんのMediumのエントリーに、感覚的にはかなり近い。

原宿のお店で「これいいですよ」とか「これ最高なんです」という接客をすると、お客が寄り付かなくなるらしいです。
なぜかというと、実はお客はモノを買いに来ているわけじゃなくて、そこを空間として見たときに、自分の居場所かどうかをまずは意識しているらしいのです。
自分の居場所だと認識して初めて「そこの商品を買ってもいいかな」となるのだとか。
サービスやブランドも一緒で、自分らしいかどうか、みたいな雰囲気をいかに作れるかが大事かなと思っています。
時代の変化は、結局若い人しか作っていない — The First Penguin — Medium

インターネットにはインターネットなりの、書店には書店なりの、それぞれの「しおり」がある。書店でしおりを受け取って、なんとなくそんなことを思う。